中学3年のある日。私はホテルのロビーに制服で座っていた。ホテルのロビーで私が会う予定になっていたのは、私の「本当のお父さん」だったからだ。セーラー服で、ホテルのロビーに座って、父親を待っている。私の人生で片手の指に入るほどの緊張した時間だった。  

私には、2人の「お父さん」がいる。1人目は、母と最初に結婚した、生みの親。この人をここではパパと表記する。パパと呼んでいた小さな頃に別れたから。2人目は、私が保育園のときに母と再婚した、新しいお父さん。物心ついたときには母と2人だった。保育園の皆にはお父さんがいて、お母さんがいた。私には「お母さんだけ」というのは嫌でもわかった。

何でそうなのか、母に聞いてみたけど、そのとき返ってくる話は難しくてよくわからなかった。母は母なりに、真摯に話してくれていたとは思うが。そうこうしているうちに、2人目の「お父さん」が私の父になった。

友達が父親の話をする度に気分が落ちこんだ

自分の家が普通ではないことは小学校に上がる前にはわかっていた。そして、中学生になる頃、はっと気づいたのだ。私の父は、血が繋がっていない。それだけでなく、私は生みの親の顔も知らない……と。  

パパの写真があればよかったのかもしれないが、そういったものはなかった。今より写真を撮れる携帯電話が普及していなかったこともあるだろうが、そこには、母とパパとの確執もあったのかもしれない。

生みの親の顔を知らないと気づいた中学生の私はそれだけで自分が人と比べて恵まれていないような気がした。友達が父親の話をする度に気分が落ちこんだりいらいらしたりした。友達に悪気はなくとも、私は生みの親の顔も知らないのだと思って、さらに憂鬱になっていた。

自分のルーツが気になる年頃でもあり、生き別れのパパに夢を抱いてみたり、逆にネガティブな想像をしてみたりした。私の父親なのだからとても格好よくて素敵な人なのだろうとか、母が離婚するほどなのだから相当ひどい人なのだろうとか、好き勝手に想像を広げた。

パパについて、母にこっそり聞いてみたりもした。母はあまり語りたがらなかったけれど、小さな頃より具体的なことを教えてくれた。あまり円満な別れではなかったこと、私の顔の半分は私が顔も知らないパパ似であること、などなど。

実の父に「会いたい。会ってみたい」という気持ちがわいてきた

そうしていくうちに私のなかに実の父に「会いたい。会ってみたい」という気持ちがわいてきた。会ってみれば、生みの親の顔も知らないのだと人と比較して落ちこむこともなく、すっきりするだろうと思ったのだ。何より自分のルーツをはっきり知らないことで、自分の基盤となるものが揺らぐような感じがあった。  

そんなときに修学旅行でパパの住んでいるところの近くに行くことになった。母が学校にかけあってくれて、泊まるホテルのロビーで実の父と会えることになった。

今となっては修学旅行の他のイベントを思い出せないくらいなのに、実の父と会ったその瞬間のことは忘れられない。

私と顔が似ている、普通のおじさんだったけど

仕事帰りの、スーツを着たどこにでもいるおじさんだった。ただし顔は私とどこか似通っている。 そんな普通の人だった。小説のようにファンタジーの世界に繋がる人でもなければ、極悪人でもなく、私と顔が似ている、普通のおじさんだった。 あ、この人と母によって私は生まれたのだとルーツを知って、不安定だった自分の足場が踏み固められた気がしてひどくほっとした。共通の話題である母のことや互いの近況など、今日までどうやって生きてきたか、今どうやって生きているか、これからどう生きていくつもりなのか、話をした。そして、別れた。時間にして2時間と少し、だけどその時間は今も私にとって大切なものとなっている。

今はもう、「生みの親の顔も知らない」というコンプレックスは、ない。顔も人となりも知ることができたから。もちろん、生活そのものに大きな変化はない。時折訪れる不安の一つが減ったくらいだ。あの不安は、愛されていない可能性を拭えないことからきていたんだと思う。でも、今はもう大丈夫。話して、親に愛されていたと思えたから。