お尻が痛い。もう2時間は座っている。
目の前には真っ白な志望動機欄が広がる。
学生の頃から、苦手だった「就活」。転職を重ねた今も変わらない。

周りの同級生が軽々とやってのける(ように見える)ことができなくて、自分はどこかおかしいと思い悩んでいた。私は大学3年から急激にダメ人間になった理由も分からず、立ち止まった。

昔からそんなダメだったわけでないのだ。幼少期から、何事も努力するようには育てられてきた。勉強も習い事も、頑張れば結果がついてくるので、どちらかというと努力家な子供だった。
でも就職活動だけは、この成功体験が当てはまらない。

努力でどうにもならないものだ

まず、努力の方向性を調整するすべもないことを最初の就活体験で知った。第一志望だった大学職員の集団面接のため、面接も練習してきちんと準備したはずなのに、落ちてしまったのだ。答えにも詰まらなかったし、態度も問題ないはずなのに。その後も同じような不採用が続いた。何が悪かったかわからないまま次の企業へ進む。しかもどんどん志望度は低くなっていく。

普通の人はここで一念発起して気持ちを切り替えるものなのだけど、私の場合は違った。努力でどうにかなると思っている性格は裏を返すと、努力でどうにもならないものには無頓着な性格ともいえる。入りたいかわからない会社のために、どうやったら採用されるかわからないままで普段の自分を抑えて頑張ることに価値が見出せなくなった。

こうして、何もする気にならず、ごろごろと寝てばかりいる就活生となった。当然、「無い内定」で社会に放り出されることになってしまった。

流石に反省した私は、数をこなせば、就活もできるようになるかも、と何度もチャレンジをした。内定のためならと、平気で嘘もつくようになった。でもそれは一瞬。またダメ就活生に戻ってしまう。

どれくらいダメかというと、履歴書の記入から既につまずく。社会人7年目、3回の転職を経た今になっても、書くのがすこぶる遅い。学歴と職歴を淡々と記せばいいだけなのに手が動かず、気付けばYouTubeを見ている。

やっと履歴書が完成したと思ったら、次は職務経歴書。その場で「エントリシートを書いてください」と言われ、あたふたした新卒の頃よりはよっぽどマシなはず。しかし、社会人経験があるほど内容も高度にしないといけない気がする。筆が止まる。そのうちこんな紙ペラで人格や能力がわかるものかと悪態をつき始め、ウソを織り交ぜた志望動機と自己PRをなんとか作る。そしてYouTubeに逃げるのだ。

ゲームの「ガチャ」よりよっぽどひどい

就活用の文書は、自己PRの側面が強くてとても気恥ずかしく感じてしまう。「できる人間」をアピールするたびに「私はそんな人間じゃないのに」と思いつめてしまうので、ウソを混ぜるのは結構な苦痛だ。そのウソをベースに喋ることになる面接も、採用担当者にはさぞぎこちなく映ったに違いない。

ここまでして何になるのか。就職を「人生ガチャ」と表現する人もいるようだけど、ゲームのガチャよりよっぽど酷いかもしれない。課金だけでなく、若く楽しい時期を犠牲にし、全身全霊をかけても結果がいいとは限らない。そうやって入った会社がブラックだったら、生きている時間を丸ごと無駄にした気持ちにもなる。実際私も、何度かブラック企業に当たっている。

「そんな風にいちいち疑問を持ってるから、就職できないんだよ」と頭の中から声が聞こえる。とうとうおかしくなってしまったみたいだ。

「これはできません」と言うようになった

毎日の就活へのコンプレックスとストレスからか、社会に出てからエッセイを書き始めた。自分のダメなところ、日常の不満、仕事で嫌だったこと。誰にも読まれないけれど、ネガティブなこともそのままかけるエッセイは心の癒しになっていた。

これこそが私の履歴書で自己PRじゃないか。そう思うようになった。何年もエッセイを書くうち、同じような苦痛を感じる人の文章も読むようになった。なんだ、私だけではないじゃん。誰かの言葉に、ちょっとした光を見た

運任せのガチャ。どーせ努力できないのなら、直球で回してみようかな、と開き直り始めたのは、つい最近になってから。

最近ではウソもハッタリも利かさず、「これはできません」とはっきり言うようになった。志望動機も自己PRも短くたっていい。

子供の頃、目をつぶってガチャガチャのハンドルを回した時の気持ちに戻ったみたいで、なんだか楽しくなってきた。

それで、採用されるかは、分からないけどね。

ペンネーム:モノカキノゆり

名古屋在住。病院でアルバイトをしています。バイオリンを弾きますが、お嬢様ではありません。