「左右盲」という言葉をご存知だろうか。

ただ右と左がわからない人、ではなく、混乱しているだけ

右と左が瞬時に判断できない、右と言われたのに左を向いてしまって話の理解が遅れる、車の運転で右折左折を間違えてしまう、目の前の人が左右反対になることがすぐにわからない、このような症状を持つ。教育を受ける中で混乱したままというだけで、病気、障害などではない。左利きの人が子どもの頃、「お箸を持つのは右」と教えられ、混乱してしまったことが原因であることが多い。だが私のように右利きでも、目の前にいる人と反対になることがわからず、混乱して左右が瞬時に判断できないままの人もいる。
私が左右盲を知ったのは、Twitterで偶然、左右盲についての漫画を見つけて読んだことがきっかけだった。その漫画を書いた方も私と同じ右利きで、幼稚園の頃、目の前にいる人と反対になることが分からないまま過ごしてきたと言う。
あ、私はこれだったんだ。と思い、ただ右と左がわからない人、ではなく、混乱しているだけだと知って少し安心した。

友達の話で、胸が苦しくなった。左右盲を知らない人は沢山いる

左右盲を知る前、左右の判断が瞬時に出来なかった私に対して恋人は、右を「お箸を持つ方」、左を「お椀を持つ方」と言い換えてくれた。それでも「お箸はどっちで持ってたっけ…?」と箸を持っていた感覚を思い出すのに時間がかかるが、少し判断が楽になった気がする。
体育でダンスの授業をした時、目の前で踊っている人を見ると混乱してしまう。目の前の人が左手を動かしたとしても右手を動かしてしまい、「手が逆だよ!逆!」などと言われたことはあったが、私は今まで友人にバカにされたことはなく生きてきた。車を運転できるかが不安だということ以外にはあまり思い悩んでいることはない。

私が左右盲について書こうと思った理由は別にある。
久々にメッセージのやりとりをした私の高校の友達は、私に左右盲であることを明かし、こう言った。
目の前にいる人と反対になるってことがすぐに分からない。だから、それを「やばいね」と言われることにすごい傷つく。この前レクリエーションで、前の人に言われたことと同じ動きをするというゲームをして、大人数でやった中1人だけ遅く、みんなに「左右もわからないの?」と言われて泣きそうになった。と。
これを聞き、私も泣きそうになった。まだ左右盲を知らない人が沢山いると感じ胸が苦しくなった。

理解者が近くにいれば、生き辛さは和らぐ。少しでも楽に生きられたら

多分、「やばい」とか、「左右もわからないの?」なんて言う人は、その子をいじっている感覚で、傷つけているなんて思ってないし何も考えず言ったのだろう。
でも、私は右と左さえ分からない。
みんなには簡単なことが私にはできない。
その事実が恥ずかしくて私たちの自尊心は崩れていく。
辛い。どうして私にはできないの?
でもその感情もきっと理解してはもらえないのかな。
私は左右盲のことをもっと沢山の人に知ってほしいし、それは決して「やばい」ことではないと伝えたい。

右、左、と言った時、少しでも動揺する人、手が止まる人、考え込む人、自分の両手を見る人、もしかしたらあなたの周りにもいるかもしれない。
右は「3時の方向」、左は「9時の方向」と、時計で表すとわかる人や、ホクロのある手が右手、と判断している人、それぞれ自分達なりの判断方法がある。生きるために頑張っている。どうかそれを、たとえいじりでもバカにしないでほしい。バカにされても大丈夫な人もいるかもしれないけど、自分が嫌になるほど悩んでしまう人もいる。1人でも理解者が近くにいれば、生き辛さは和らぐ。誰もが少しでも楽に生きていける世の中になることを願っている。