「社会を変えるなんて私には無理」そんな風に思っていた。東大や京大に通っているわけでもない。大学でジェンダー研究を専攻しているわけでもない。私にはフェミニズムを語る資格がないんじゃないか、そんなことが頭によぎることがあった。

そう思いながらも、私は女性であることで被った理不尽な出来事を、幾度となく口に出し続けていた。ジェンダー平等の価値観を持つ母に育てられた私にとって、性差別が当たり前のように蔓延る社会が、とても窮屈に感じたのだ。そのうち周りの人達には、「女子力」という言葉が嫌いな子として知られていった。「女子力」をわざわざ「人間力」に変換して話す私は、”少し面倒くさい子”と思われていただろう。それでも私は、あらゆる性差別に反発し続けていた。学校では女人禁制の応援団に異議を唱えたり、祖父に男のくせに泣くなと言われた従兄弟を全力でかばった。

私には影響力はない、それでも

私の”声”は、とっても小さい。有名人でもないし、影響力があるわけでもない。それでも個人の小さな声は、無駄ではないと信じる。個人が声を上げる行為は、社会の変化に繋がると思う。個人の小さな声の力を、目に見える形で感じたのは、今年7月のことだ。

学生がそれぞれテーマを設定し研究活動を行う授業で、私は性犯罪におけるセカンドレイプについて扱った。性犯罪におけるセカンドレイプとは、性暴力(レイプ/痴漢/セクハラ/盗撮など)の被害者が、心理的・社会的に再び苦しめられることをいう。

私は、ジャーナリストの伊藤詩織さんの事件を知り、セカンドレイプの問題を意識するようになった。伊藤詩織さんは2015年に性暴力の被害に遭われた。この事件に対して世間は、”男性の前で飲みすぎるのが悪い””ハニートラップだ””被害者商売だ”…とセカンドレイプの嵐だった。

そして極めつけは正義であるはずの警察によるセカンドレイプだ。

「よくある話だし、事件として捜査するのは難しいですよ」

『Black Box』(文藝春秋 、74ページ)

警察官はただ、事実をつたえただけかもしれないが、私にはセカンドレイプにしか思えなかった。性暴力を訴えに来た人に向かって言うことだろうか。私は絶望を感じた。性暴力を訴えると、世間にも糾弾され、警察にも助けてもらえない。

問題意識を持つようになると、日本社会にセカンドレイプが溢れていることに気付く。
性暴力が起こると、世間が被害者のあら捜しを始めるのを感じる。まるで性犯罪者のことは眼中にないかのように、被害者を糾弾していくように感じるのだ。この行為がどれだけ性犯罪者にとって都合がよいことか。性犯罪という罪を犯したとしても、世間は被害者を攻撃する。被害者はセカンドレイプを恐れ、助けを求められない――。

男性による女性への性暴力の場合、その際に起こるセカンドレイプの背景の一つには、男尊女卑の文化があると思う。被害女性に対する非難の軸には「女が我慢すればいいことだ」そんな無意識の性差別が感じ取れるからだ。

女は人前で酔ってはいけないのか。
女は家に誰かを招き入れてはいけないのか。
女は着る服を好きに選ぶことができないのか。
なぜ女が犯罪者の都合に合わせて生きなければいけないのか。

「理解しよう」とする友人


同じ大学の知り合いの女性が、「私は被害者の人も悪いと思ってしまう」と打ち明けてくれた。理由を聞くと、”女性も性被害に合わないように予防するべきだ”という考え方だった。誰から見ても、セカンドレイプに断固反対の姿勢を貫いている私に、そう話してくれたことに驚いた。そして、理解しよう、対話しようとしている彼女の思いが嬉しかった。

7月、大学の最終授業日。彼女の前で、セカンドレイプについて発表した。わたしは彼女に、セカンドレイプをしている意識をもって欲しかった。そして、それが何を導くかを理解して欲しかった。セカンドレイプをしてしまう人達は、それが何を意味するのか、何が導かれてしまうかに関してまで考えていないと思うのだ。「被害者も悪かった」という意見は無意識に女性たちの権利を侵害し、加害者に加担する行為であることを語った。そして、加害者に加担することで、多くの被害者が声を上げることができないことも。世の中の誰にも、「レイプされても仕方がない」「痴漢されても仕方がない」「セクハラされても仕方がない」なんて場合は絶対にない。

発表後、彼女は「もう二度と被害者を責めない」と力強く伝えてきてくれた。私の声が一人の人間に届いた。涙が出そうなほど嬉しかった。誰かがセカンドレイプで傷つく可能性が少しでも減ったのだから。

性差別、気づかないように生きられたらずっと楽なのに


私たちは、男女の役割を背負って生まれてくると思う。女性は女性らしさを求められ、男性は男性らしさを求められる。性差別なんて存在しないように生きる方がずっと簡単だと思う。憧れていた芸能人の無意識の性差別発言に傷つかなくていいし、性差別を訴える声を上げてネットで叩かれることもない。でも、本当にそれでいいのか自分に問うと、女性であることが理由で苦しんだ出来事や、同じように性別によって苦しめられた周りの人の痛みがフラッシュバックする。

5年後は、2024年。私は、性差別が許されない社会で生きたい。女性であっても、男性であっても、誰であっても、人権が侵害されない世界で生きたい。だからこそ私は声を上げ続ける。その声がどんなに小さくても。それは社会を変える土台の一部となると思うから。

ペンネーム:ひとえ

都内大学生。無条件に自分を愛してみたい…。

Twitter: @cheeerish_0

10月11日は国際ガールズ・デー エッセイ募集中

「女の子らしく」「女の子なんだから」……小さな頃から女性が受けてきたさまざまな社会的制約。ジェンダーに関わらず、生きやすい社会を実現していこうと、「かがみよかがみ」では、10月11日の国際ガールズ・デーにあわせ、「#5年後の女の子たちへ」をテーマとしたエッセイを募集しています。ステキなエッセイを書いてくださった方は、フェミニズムの第一人者である上野千鶴子・東大名誉教授にインタビューする企画(10月中旬、都内で開催予定)に参加することができます。この企画に参加希望の方のエッセイ締め切りは10月6日までです。