八重歯の私に「なんで矯正しないの?」 1カ月でギブアップした

『国際社会 その歯並びで大丈夫?』と書かれたポスターが目の前に貼ってある。
そこには一本一本行儀よく整列し、ぴかぴかと光った歯の写真が添えられていた。
「虫歯もなく、変わりありませんでしたよ」
歯科医の女性は、笑顔でそう言った後に、一言付け足した。
「矯正は考えられていませんか?」
生まれてこの方何十回も聞いたその言葉に、私は「うーん」と笑いながら曖昧に首を傾げる。
私は、歯並びがわるい。
具体的に言うと、左右の八重歯が他の歯よりも前方に出ている。
これが普通とは違うと気づいたのは、小学校3年生の頃だった。母が、親戚とそれぞれの子どもの歯について話していた時に、「そういえば矯正って考えてるの?」と尋ねられていた。彼女は私をちらっと見て「確かに、結構ガタガタが目立つし、直させようとは思ってるんだけど…」と言った。親戚は「まあ、本人が気にし始めてからでもいいと思うけどね」と返した。
私はそれを聞いて初めて、自分の歯が「直さなければいけないもの」「気にしなくてはいけないもの」なのだと知った。そこから、自分の歯を「なんとなく人に見せるのをはばかられるもの」だと思うようになった。
楽しい時は、できるだけ大口開けて笑わないようにする。とっさに笑ってしまった時は、前歯が丸出しにならないように手で口を覆う。そんな風に、八重歯ができるだけ人目につかないように気をつけて過ごすようになった。
しかし、そんなある日、友人たちから思わぬ言葉が飛び出した。
「なんでいっつも笑う時手で口元押さえてるん?」「上品ぶってるんちゃう?」「それ、〇〇ちゃんも、ぶりっ子みたいって言ってたよ」
ショックだった。しかし、私はそこで「八重歯を気にしてやっているんだ」とはどうしても言えなかった。これは本来直さなければいけないもので、直していないこちらに責任があると思ったからだ。
歯並びは、矯正が早ければ早いほど整いやすいという。この一件のあと、「矯正、してみる?」という母の提案に素直に頷いた。でも、そこからがつらかった。
始めは寝ている間だけの矯正方法を選んだのだが、本来安らげるはずの睡眠の時間が地獄に変わった。毎晩、歯がぎゅうぎゅうと押されるのが気になって、布団に入ってもなかなか寝付けない。頭が痛くなってくる。なんだか気分まで落ち込んで、涙が出てくる。歯並びって、こんなにつらい思いをしてまで直さねばならないものなのか…。
結局、矯正は1カ月でギブアップしてしまった。何よりも、「歯並びを整えたい」という自分の気持ちが足りなかったのだと思う。
それ以降、中学生・高校生・大学生・社会人と人生を過ごしてきて、その時々で八重歯にはいろいろな感想を頂戴した。たまに「かわいい~」と言われたり、冗談ぽく「虫歯になりやすいらしいね」と笑われたり、「何で矯正しないの?」と本気で問われたりした。
その度にへらへら笑ってきた私だったが、最近ようやくある気持ちに気づいた。それは、飲み会の席で冗談っぽく「矯正はしなかったん?」と言われた時のこと。ある言葉が、するっと自分の口からこぼれ出たのだった。
「いやいや、私はずっとこれやねん!これでいいねん」
それはたぶん、前から心の中で思っていたことだった。そうだ、私はずーっとこの歯で生きてきたのだ。最初からこうだったのだ。そこに責任も、直さなくてはいけない義務もない。私はただ歯科矯正から逃げただけではなかったようだ。いつの間にかしっかりと「直さない」という選択をしていたのだった。
最近、女性がパンプスを強制されるのはおかしいと声が上がったり、男性がメイクをする・しないと選択できるようになったりと、社会の多様性が広がっているように感じる。
「する」のも「しない」のも自由、という考え方がこのまま浸透していってほしいと切に願う。そして、その中に「歯科矯正をするもしないも自由だ!」という意見もぜひ仲間入りさせてほしい。この先、自分のように歯並びで悩む子がいないように……とそんなことを思っている。
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