自信がなくて面接で落とされる。そんな私が気づいた自信の正体

「厳正なる選考の結果、誠に残念ながらーーーご活躍を心よりお祈り申し上げます」
またお祈りをされてしまった。
おおよその原因の目処は立っている。
自分に自信がないからだ。
面接当日はいつも、朝からお腹の調子が悪い。
ひどい時は前日から不調が来る。
会場付近で飲むコーヒーでお腹を下すのは、毎度のことだ。
「自己紹介をお願いします」
想定していた質問なのに、口ごもる。
ひょんなことを突かれると、頭が真っ白。
何度も練習したはずなのに、引きつる笑顔。
しっかり練習してきたつもりなのに、発揮できない。
自信がないと、おどおどして見えるらしい。
自信を取り戻そうと読書やジム、英会話教室に通ったり、思いつく限りの様々なことを始めた。しかし、読書をしても、筋力をつけても、英語力を磨いても、「自信がついた」とは言えなかった。
今まで「自信」に覆いかぶさっていた土は、そんな小手先の行動で払えるはずがない。
私の自信は、分厚い土に埋もれている。
"もっと自信もっていいよ"
そうやってみんな、あたかもすぐできるかのように口々に言う。
言うのは簡単だ。ただ、言われたくらいでそう簡単に自信を持った自分を繕えない。
そう思いつつも、
「なんで私はそんなことも、できないのだろうか」
と、他人と比べる自分に、さらに嫌気が増す。
お祈り回数が増えるたびに、自分と向き合う回数も増えていく。
どうして自信がないのか、
どうして本番で喋れないのか、
どうやったら克服できるのだろうか。
そんな考えを巡らせているうちに、自信というものは達成するために努力してきた過程を自分が信じてあげるか、信じてあげないのか、ということではないかと気がついた。
今までやってきた小手先の行動は、広い意味で「自信をつける」という点では間違っていなかったかもしれないが、「面接で堂々と話すための自信をつける」という観点からすると、少しずれていたと思う。
そう、自分を信じるための努力ーー面接の練習量が圧倒的に足りていなかったのだ。
どうしてこの会社に入りたいと思うのか?
5年後どうなりたいのか?
そもそも、なぜ管理栄養士になりたいと思ったのだろうか?
自分が考えていることを言語化するために、問いをひたすら繰り返す。
自信を持った態度で臨むために必要なのは練習量か、練習の質なのか、人によって違うかもしれない。
自分に足りないものが何かに気づいただけでも、就活による収穫はでかいと思っている。
気づくのはみんなより少し遅かったかもしれない。
けど、就活前の自分よりも、少しだけ、埋もれていた自信が見えてきた。
いつもの倍、練習して臨んだ面接。
相変わらずお腹の調子は悪い。
しかし、いつもと何か違う。
もうコーヒーは飲まなくなった。
「本日は、よろしくお願いします」
自然な笑顔で滑り出しは良い。
自信に覆いかぶさっていた土を払えた気がする。
余計なものを振り払った私は、心が軽く、いつもより落ち着いていた。
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