「結婚してください」は必要? プロポーズ・ブルーを乗り越えて

「ねえ、その指輪もしかして彼氏にもらったの?」
友人は、私の右手薬指の指輪を見て言った。
「違う違う。自分で買ったやつだよ」と言うと、彼女は「え、そうなの?」と驚いたような顔を見せた。他の友人が「なんだ婚約指輪じゃないのか~」などと不満そうに言うので笑っていると、「でも、近々入籍するんでしょ?」と聞かれる。頷くと、「もうすぐプロポーズあるんじゃない?」「詳細報告してよ~」と明るい声が飛び交った。
その言葉に、胸がつまる。笑う友人たちの左手薬指に指輪が輝くのを見ながら、私は「プロポーズって何なんだろうなあ…」と考えていた。
20代後半になると、友人の結婚式に出席する機会がどんどん増えた。その度に「プロポーズのエピソード」なるものもたくさん知るようになってきた。「クルーズ船の上で赤いバラを100本もらった」「ディズニーランドからホテルに帰ったら指輪が置かれていた」など、ロマンチックエピソードには事欠かない。
それを聞いて、「いいねえ!」とはしゃいでいられた頃はよかった。しかし、段々と状況は変わる。「ところで、あなたはどうなの?」という言葉を向けられるようになってきたのだ。
そういわれる度に、なんとも言えない気持ちになった。
どうやら、友人たちの中では「彼氏に婚約指輪をもらってロマンチックなプロポーズを受け、入籍し、二人で結婚指輪を選んで結婚式にのぞむ」というのが当たり前の流れのようだった。
私の場合はそうではない。
入籍もどちらからともなく出た話で、婚約指輪も予定がない。プロポーズらしいエピソードが何もないのだ。
それでいいと思っていた。私たちが決めたことだし、二人のやり方でやればいいんだと。
しかし、友人にプロポーズについて聞かれる度、そして「特にそういうのはないよ」と答えた時の顔を見る度、なんだか複雑な気持ちになってくる。ジュエリー店の前を通るとき、何かに急き立てられるような気持になる。
もしかして、私たちは何か大切な手順を飛ばしてしまったのではないか…?
そして、ある時相手に言ってしまった。
「入籍は二人で決めたことだけど…やっぱり、きちんと言ってほしいなと思う時はあるよ」。
なんとプロポーズを催促してしまったのである。相手の顔は見られなかったが、その時の空気は鮮明に覚えている。一瞬にして相手に「責任」がのしかかるのを感じた。サプライズとか、準備とか、そういうのが苦手な人だというのはよくわかっているのに、あろうことかプレッシャーをかけてしまうなんて。
人生に「結婚」という言葉が具体的に立ち上がってきたとき、そこから先の「しなければいけない」ことの多さにぐらぐらした。普段なら自信を持って「選ぶのは自分だから」と選択できていたことが、すんなりと進まない。「人生で一度きりだから」とか「ご家族のためだから」とか「みんなやっているから」などの言葉で簡単に揺らいでしまう。
というような不安を、ある友人に話したことがあった。彼女は長年付き合っている人がいるが、結婚する予定はないらしい。「どうしてそんなに揺るがないの」と聞くと「そんなことないよ」と笑う。「ただ自分たちの楽しいことにしか興味がないだけ」。
その一言ではっと目が覚めた。果たして自分たちは、これらを楽しいと思っているのか…?豪華なプロポーズを、人をいっぱい呼ぶ結婚式を。
ショックだった。世間がどう思うかではなく、自分たちが楽しいかどうかで選べばよかったのだ。こんな簡単なことも見失っていたなんて。
ちなみに彼女に婚約指輪について聞くと、頼もしい答えが返ってきた。「婚約指輪?いらないでしょ。そんなお金あったら海外に旅行行くわ」。
今では友人たちからプロポーズについて聞かれる度、この言葉を思い出している。プロポーズなんて必要ないくらいおもしろい日々を、自分たちなりに過ごしたいと思う。
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