姉に結婚を勧める祖母。それをジェネレーションギャップと片付けないで

先日、祖母の家に姉妹で遊びに行った際に祖母からこんな言葉を聞いた。「お姉ちゃんはいい人いるの?結婚はいいわよ」
姉はいわゆるアラサーに突入して、おばあちゃんにとってお姉ちゃんの年齢は”結婚適齢期”だったのだと思う。祖母は続けて「学校の先生を紹介しようと思ったのだけど、どうかしら。お姉ちゃんにちょっと怒られるかなって思ったりもしたんだけど、収入も安定していて安心よ。そろそろねえ」
祖母に待ったをかけたかった。祖母にとってはなんてことない言葉だったと思う。孫を心配してとった行動だったと思う。でも「結婚」はいつかはするものという前提をもとに紡ぎ出される言葉は、私にとって驚きと戸惑いの連続だった。それを決めるのは自分自身なのに、、、。
このように、結婚に関して他者から何かを言われ戸惑った経験を持つ人は少なからずいるだろう。人によってはデリケートな問題だからと触れられたくない人もいると思う。
私は決して結婚を否定したいわけではない。いつか大好きな人ができて、一生を共にしたいと考えたなら私は結婚を迷いなくするだろう。しかし、それを義務と考えたり、あたりまえのように捉えるのは違うと思う。いつ、どこで、だれと、どのような形で結婚するのか、もしくは結婚しないのか、などそれぞれ選択をし、どんな人生を歩むかについては自由であっていいと思う。大切なことはそれぞれが主体性を持って、希望にあった形が実現されることだろう。
ジェネレーションギャップという言葉は多くの人が聞いたことがあると思う。年齢や世代が異なることによって考えや文化が異なることである。祖母との一連の会話をジェネレーションギャップと片付けるのは簡単だ。お見合い結婚が主流だった時代も確かにあったし、結婚をあたりまえのイベントと考える人もいるかもしれない。
しかし、私はジェネレーションギャップという言葉で片付けたくはない。だって、お姉ちゃんはその言葉に深く傷ついたかもしれないし、おばあちゃんの言葉によって選択を狭め、結婚に囚われてしまうかもしれない。
ジェネレーションギャップという言葉は世代の違いによりどうしても超えられない相違が起きたときに使う言葉だと思う。例えば、「最近、○○が流行ってるの!?私の時は○○が流行ってたよー。ジェネレーションギャップだね笑」みたいな。もっと、カジュアルな場面で使うべきだと私は考える。祖母は会話の中で姉から怒られるかもしれないという保険をかけた。きっと、普段恋愛に関してあまり積極的に話さない姉の気持ちをくみ取っていたのだろう。お姉ちゃんの顔色を伺うのだったらもっとお姉ちゃんの気持ちを大切にして欲しかった。
祖母に限らずどんな世代の人々でも、幸せになって欲しくて結婚を勧めているのだと思う。でも、それぞれの価値観によって結婚がベストかどうかは異なる。結婚は一つの選択肢に過ぎないはずだ。
私はまだ19歳で、もう19歳だ。日本の法律では結婚できる年齢である。正直、まだ学生だし、結婚なんて自分には関係ないものだと思っていた。でも、祖母との会話を通して、私もしっかり考えなくてはならないと思った。だって、自分の人生だ。誰かに決められるものではない。多くの選択肢が無数に存在する中で、私は選択をしなくてはならない。
5年後、10年後もし自分が同じような場面に直面しても「結婚に囚われるな!」と言ってあげたい。だって、それが自分にとって最善とは限らない。もしかしたら、仕事や趣味なんかに生きがいを感じて“結婚”よりも重視したいことが山積みになっているかもしれない。
もし今度、祖母から結婚の話を持ち出されたら私の「結婚観」について話したいと思う。そして、結婚は人生の一つの選択肢として大切に心に留めておきたい。
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