20年来の友人から「子供好き?」と聞かれた時、一瞬で友人の意図するところを察した。友人は私が子供が好きかどうかを尋ねたかったのではない。「嫌いでしょ?」と言いたかったのだ。

私の予感は的中していて、「かわいいとは思うけど接点がないし今はよくわからない」と答えようとしたところで、「全然想像できない!あなたと子供って全く結び付かないんだけど(笑)」と言われた。友人がその後たたみかけるように言ったのは、自分は子供が好きだから子供がほしいし結婚もしたい、という旨だったように記憶している。

自分でも驚く程に、このやりとりが受け入れがたくてもやもやしてしまう。何と言い返せばもやもやせずに済んだのか、今でもわからない。思いつくのはせいぜい「うるせえ黙れ」くらいだ。でも、それでは話にならないし、なんだかそれを言っても結局はもやもやすると思う。

私の恋愛についてはほっといてほしい

20代後半の私は、今まで恋人ができたことがない。そのことを気にしていないと言えば嘘になる。恋人がいる人のことを羨ましく思うこともある。ただ、恋人がいないことに対して、自分が不幸だとは思ったことはない。恋人がいなくてもリアルは充実しているからリア充だと思う。

でも、こういうことを言うと、ある種の負け惜しみのように捉えられてしまうことに対しては不幸だと思う。時々遭遇する「○○歳になっても結婚していない人は、どこかが欠落している」みたいな言説、恋人がいない=枯れているみたいな風潮には息が詰まる。
恋愛や結婚をするということは素敵だと思うけど、恋愛・結婚している人は「良い」、そうではない人は「良くない」みたいな、なんとなくの印象が世の中に垂れ流しにされすぎていませんか。

恋人がいないと言っただけで、やたらと知り合いの知り合いを紹介されたり、「あの人はどう?」と言われたりするのも、相手は好意でやってくれているから失礼かもしれないけど、ちょっとうんざりしつつある。

詰まるところは、私の恋愛についてはほっといてほしいのだ。恋したい時にがんばるから。いま別に恋したくないだけだから。私の恋愛は私のものじゃん。「モテない人」みたいなレッテルも貼ってくれていいけど、全く僻んでないのよ。でも、20数年間恋人がいない人間が、「今恋もしたくないし、ましてや結婚も別にしたくない」って主張したところで、その言葉の真意ってどれぐらいの割合でわかってもらえるのだろう、と考えるとげんなりしてしまう。

子供を産みたい願望はある気がするけど、今の私にはリアルではないのだ

ただ、恋したくなくても結婚したくなくても、「子供」に関しては敏感になるところがあるかもしれない。「子供」を持つ自分のことは今はイメージできないけど、心の底で「子供」を生んで育てたいというぼんやりした願望がある気がする。そうでなければ、冒頭の友人とのやりとりでもやもやした感情にならなかったのではないか、と思う。ただ、今の私にはリアルではないのだ。

恋愛していないことも事実だし、結婚していない、子供がいないことも事実。だけど、精神的に、身体的に、周辺環境的に、今そうならなかっただけであって、そのことに対して一義的に外部から決めつけたようなことを言われるのは我慢ならない。

「ほっとく優しさ」を持っていたい

人との関わり合いの中で、「ほっとくこと」は難しいことなのかもしれない。ついつい自分は良かれと思って口にしたことが、相手のパーソナルスペースに土足で踏み込んでいた、というのは自分も含めよくあることなのかもしれない。意図せずやっていたとしても、もし不愉快な思いをさせていたら本当に申し訳ないことだ。しかも、場の空気を盛り上げるため、とか、相手を持ち上げるため、自分の承認欲求を満たすため、みたいな空虚な理由のために。

「ほっとく優しさ」を持っていたいと思う。相手にとって「優しくすること」は、間違いなく自分のエゴではなく、相手が嬉しい、良いと思うことをすることだ。平たく言うと「親しき仲にも礼儀あり」だし、突き詰めれば「関係ないことは関係ない」。逆に、私のことで、あなたに関係ないことはあなたに関係ないんだからどうかほっといてください。