嫌なことをされた時、言い返せなくてもいい。愛想笑いはするな

我慢することが、「社会人」になることだと思っていた。違和感を持つ自分がおかしいんだと思っていた。だけど、年齢を重ねた今ならわかる。あの時の、私の感覚は間違っていなかった。「かがみよかがみ」世代の女性たちに、あの頃の私に、今振り返って伝えたいことをお届けします。初回は、切れ味抜群のツイートで話題のぽこ美さんに寄稿していただきました。
我慢することが、「社会人」になることだと思っていた。違和感を持つ自分がおかしいんだと思っていた。だけど、年齢を重ねた今ならわかる。あの時の、私の感覚は間違っていなかった。「かがみよかがみ」世代の女性たちに、あの頃の私に、今振り返って伝えたいことをお届けします。初回は、切れ味抜群のツイートで話題のぽこ美さんに寄稿していただきました。
世の中というのは「少しおかしいのでは?と疑問は残るけれど当たり前になっていること」というものが存在する。いわゆる「暗黙の了解」というやつである。
学生時代に受けたおじいちゃん教授の講義内容について、今でも覚えていることがある。
「ご存じのとおり男性はチンコがついています。女性にはついていません。その点でいうと男性は女性より進化した生物なのです」と教授は話した。
私は文系なのでこれは生物学などの講義ではなく、ただの文学系講義の中での余談であり、教授は当然のように進化と言ったけれど、
“果たしてチンコが付いているだけで、進化なの?”
“何かが退化した変わりにチンコという臓器が発達したのでは?”
“でもチンコという体から飛び出ているモノがあるということは進化なのかもしれない。”
“そうとすると女性は男性より劣っているということ?”と、当時講義を受けながら考えた。
少し調べたら誰にでもわかることなのだが、この学説は間違っていて古い。
けれどもこの学説について専門外の人間が、それも学生のような若い世代がこれを聞いて、どのくらい疑問に思うことができるのだろう。
おじいちゃん教授も女性を貶めようと思って言ったことでもないだろうけれど、あの広い教室の中で男子生徒も女子生徒も誰も疑問に思わなかったのか、それとも知っていたけれど誰も言わなかっただけなのか、今でも考えることがある。
昨年は医学部の入試に女性差別があったことが記憶に新しい。
だが、それって暗黙の了解であって「そうだと思ってた」と思った働く女性も少なくないのではないだろうか。
就職活動でも、仕事の割り振りでも常にそれはついて回っていたことだから。
私たちは時には善意で、時には悪意で「あなたは女性だから」と、より分けられて日々生きている。
女性だから当たり前だったことが、医学部の問題では、たまたま裏口入学の話から不正減点が発覚し「それはおかしい!」という世論になり、この暗黙の了解は暗黙でなくなったのである。
不正問題が発覚しなかったら、まだまだこの不正減点は続いていたのかも知れない。
社会人として生きていると医学部の事件のような大きな問題じゃなくても毎日クソみたいな暗黙の了解にはたくさん遭遇するものだ。
通勤電車というものはいつでも、だいたいの路線が混雑していてトラブルがつきものである。
当たるな、押すな、邪魔だとキッっと睨まれ、踏まれては時に怒声が飛び交う。
なんでそんなに皆、朝から荒れてんの?戦場はここじゃない。職場に行ってから戦えよ。と言いたくなる。
それらに耐えて出社して、仕事しながら思い出す。
そういえば、今日の電車酷かったなぁ~。
あの何度もエルボーしてきた人に「やめてください」って言えばよかったかな。
体当たりする人も舌打ちしてくる人も相手が自分より弱い人間だと認識するとそういうことしても良いって思うのかしら?
くだらないことだけど、仕事中もランチ中も、ふとした時に思い出してなんだか嫌な気分になってモヤモヤすることがある。
ある日の通勤中。つり革の隣に立っていた人が、何度もビジネスバッグを肩にかけなおしてはぶつけてきた。そしてその度に睨んでくる。
もう何度、バッグを肩にかけなおし、ぶつけては睨まれただろう。
「何か問題がありますか?」と素直に聞いてみた。
問いかけには無視されたけど、その人は以降何もアクションすることはなく睨んでくることもなくなった。
売られた喧嘩を買ったわけではなく、高圧的に仕返ししたわけでもなく「何か問題が?」と素直に疑問に思うことを聞いてみただけなのだけど、相手はやめてくれたんだよね。
きっと相手は「バッグに触れるなよ」と言う代わりの睨みだったのだろうけど、じゃあ「バッグに触れるな」と言い返されたところで「この状況でどうやって触れないようにすれば良いのでしょう?」と言う状態である。
「離れたらいいだろう」とまた言い返されるかもしれない。
そしたらもう次は「どうやって離れたらよいのか教えてくださいよ」ってなるよね。
だってすし詰め状態なんだから離れられる方法なんてないんだもの。
自分より弱い相手にあたって自分の憂さ晴らしをしているようなオナニー野郎のプレイに協力する必要はないのだから、言わないで一日嫌な気分でモヤモヤするより角が立たないように疑問を投げかけたほうが精神衛生上にも有効である。
さて、2014年の都議会で女性支援策について質問していた女性都議に「早く結婚しろ」「産めないのか」とヤジが飛び、それに同調する笑いが起きていたという問題を覚えているだろうか。
彼女はヤジが飛んだ瞬間は苦笑いをしながらも質問を続け、終了後にtwitterで問題提起をしたことで話題になった。
幸い、彼女はtwitterでの問題提起によりマスコミにも取り上げられ、本件については「おかしい」ことが周知されたが、これが一会社の中で起きていたら、社内の会議中での話だったらどうだろう。後からおかしいと問題提起をしても「おかしい」と認知されるのは難しいかも知れない。
人はとっさにむけられた敵意に対応できなくて笑ってしまう。
笑って誤魔化す。
気持ちはすごくわかるけれど、後になってどんなに悔しくなって言い返しても響かない。社会の波に飲まれてしまう。
だってそれが日本社会のクソにみたいな暗黙の了解の一つだから。
疑問に思ったら声をあげる。それはセクハラや差別だけではなく、自分自身が後からモヤモヤしないために。
でも、先の女性都議のようにとっさにはなかなか言い返せないこともあるだろう。
ある時、久々に社内会議で同席した男性に「子ども産んだのに体型変わらないね~。頑張って努力してるんだね~」と半笑いで言われてすごく不快感を覚えた。
体型が変わるかどうかは個人差があるし、例え変わっていてもお前に指摘される必要もない。そしてそれが努力によるものであってもお前の為では決してない。
ていうかそういう目で見てるの???
本当にその発言、キ・モ・チ・ワ・ル・イ!
私は無言でムッっとした。
言い返すことはなかったけど、決して愛想笑いをしなかった。
会議室の中の全員がこの一連の流れを見てシーンとしてしまった。
当事者の男性は“あ~、余計なこと言ったな~”という表情をしていた。
この人も悪気はなくての発言だとは思う。けれど悪気がなかったからと言って、なんでもかんでも許されるものではない。
悪気がないならなおさら“そういう発言は相手によって不快ですよ“と教えてあげなければ次の被害が生じてしまう。
言い返せないという人も、言い返せば角の立つ場面でも、笑って誤魔化さない、不快を表現することをしてみて欲しい。
自分たちが当たり前だと思っている人は、それが「おかしい」のだと気付かないのだから。
ただ、体にチンコがついてるだけで、どちらが優れているなんてわかるものじゃない。
ちなみに先ほどの電車の中で睨まれて「なにか問題がありますか?」と言った相手は女性だったんですけどね。
チンコついてても、ついてなくても「おかしい」ものは「おかしい」から。
我慢することが、「社会人」になることだと思っていた。違和感を持つ自分がおかしいんだと思っていた。だけど、年齢を重ねた今ならわかる。あの時の、私の感覚は間違っていなかった。「かがみよかがみ」世代の女性たちに、あの時の私に、今振り返って伝えたいことをお届けします。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
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