私の左手の甲には、1センチほどの傷痕がある。これはちょうど、人間の人差し指の爪の幅と同じ大きさだ。この傷痕は、7年前のあの日からずっと、私の左手の甲から消えずにいる。

学校にいる間中、「勉強しているフリ」をしていた

中学3年生の冬。高校受験を目前に控えていた。教室に設置された古ぼけたストーブは、もやもやと淀んだ空気を作り出す。
卒業アルバムの写真撮影の順番待ちをしていた時の話だ。クラスメイトたちは、春から通う高校へ合格するべく、授業中でもないのに着席し、参考書や問題集に縋りつくようにして勉強している。一番後ろの席に座っている私は、机に参考書とノートを広げてはいるものの、頬杖をついて、クラスメイトたちのつむじをなぞっていた。

特別に勉強ができるわけではないけれど、張り切って提出物に取り組んだり、定期テストの点数もそこそこだった私は、かなり内申点が良かった。まず落ちることはないだろう高校を志望していた私は、受験勉強をロクにしていなかった。
とは言え、受験ムードでピリピリしている教室で、余裕をかましたりなんかしたら、クラスメイトの反感を食うことは目に見えている。だから学校にいる間中、「勉強しているフリ」をしていた。

クラスメイトが勉強している中、ヤンキー系の女子と目が合った

つむじしか見えない教室内で、頬杖をついている私は、さも目立ったに違いない。いわゆるヤンキー系の女子と目が合った。私立の推薦入試でとうに進路が決まっている子だった。受験ムード一色の教室内の雰囲気に、うんざりしていたのだろう。私の姿を認めた瞬間、獲物発見したとばかりに立ち上がり、こちらへ向かって歩いて来た。

(やばい、絡まれる!)
瞬時に、広げたままでいる参考書に視線を落とす。シャーペンを持っていた右手に力を入れるけれど、ノートには、もちろん数字の1つも書いていない。
「○○ー!勉強なんかしてないで構えよー!」
私の傍らまでやって来た彼女は、両手で机を揺すった。幾人がこちらへ振り返り、「うるせえな」というしかめ面を向けてくる。
「いや、ごめん。勉強してるから…」
私は苦笑いを浮かべて、彼女に向けて、というよりクラスメイトに向けた弁解をする。
「真面目ぶるなよ、今勉強してなかったじゃん!」
彼女は机からペンケースを取り上げると、それを漁り始めた。私は直接絡まれるよりもマシだと思い、それを無視して参考書に集中(するフリを)した。

しかし、彼女の攻撃はそこで終わるはずもなかった。ペンケースを机に戻すと、今度は私の背後に回った。そして、あろうことか、私の髪を、シャンプーでもするように、ワシャワシャとこねくり回し始めた。

(…は?)
当時の私は、腰まであるサラサラのロングヘアーだった。クラスでそこまで髪の長い女子なんて私以外にいなかったし、私を形容する時には「あの髪の長い娘」というくらいに、髪は私のチャームポイントだった。しかも、今は、卒業アルバムの写真撮影の順番待ちをしている時間だ。

ガシャーン!!!!
私の机が、勢い良く前方に倒れる。教室中のつむじが顔を上げ、こちらを振り返る。

手の甲の傷は、机を倒した反動で彼女の爪がめり込んでできたもの

その後、担任の先生が教室に戻ってきて、私の机が、派手に倒れたことについて、こっぴどく叱った。教卓の前に立たされたまま叱られているのは、つむじたちの後ろで着席している私じゃなくて、彼女だ。
彼女は、顔を俯いたまま、何も言わずに立っている。当たり前だ。机を押し倒したのは、彼女ではなくて、私なのだから。
私は、クラスメイトたちに受験勉強を妨害する奴と思われたくないという体裁と、卒業アルバムには綺麗な髪の毛のまま写りたいという欲求から、これ以上彼女に絡まれまいとアクションを起こした。
けれど、机を倒したのは私だと、クラス中の誰も知らない。たった2人、私と彼女を除いて。

(どうしよう、机を倒したのは私だって、申し出るべきなのかな…)
そう思いながらも、私は椅子に座ったまま、動けずにいる。参考書の上に置いた掌に、ギュッと力を込める。左手の甲が痛んだ。見ると、幅1センチ程の傷から、出血している。それは、私が机を倒した反動で彼女の爪がめり込んでできたものだった。

あれから7年たった今も、その傷は消えずに、痕になって残っている。傷痕を視界に捉えるその度に、黙って叱られていた彼女のことを思い出す。私の左手の甲にある傷痕に刻まれているのは、自分の罪を、彼女に擦り付けた私の罪悪感と、私の罪を黙って被った、彼女の正義だ。