生まれてから、22年間、ずっと同じ街で暮らしてきた。わたしの家は、神奈川県内のとある市内にある。小学校も中学校も学区内の公立へ通って、高校も自宅から自転車で通える公立へ通った。

「何となく」生きていたら、自分の生きる場所なんて、自分で決められるものではないと思う。何と言おうと、わたしはその典型的な例だ。けれど、そんなわたしにも、自分の生きる場所を選ぶチャンスがあった。17歳の冬が終わる頃、違う街へ行くための一歩を踏み出した。両親に、「この予備校へ通わせて欲しい」と、記憶の限り、生まれて初めてお願いをした。その予備校は、わたしの住む街にはなかった。

双子なのに、通っている大学で弟に負けるなんて絶対に嫌だった

わたしには、同じ歳の弟がいる。同じ歳の弟...二卵性双生児、双子なのだ。わたしが「予備校へ通いたい」と両親に懇願したのも、この弟の影響だ。
弟は、6歳からずっと、とあるスポーツを続けている。「継続は力なり」と言うけれど、弟は競技へ費やした努力の甲斐あってか、受験勉強をすることもなく、スポーツ推薦で都内の私立高校へ合格した。

高校受験の時は、わたしにも一応、志望校があったからだろうか。弟が推薦で進学することについて、特に何も思わなかった。「あんた頭良くないし、勉強しないで高校行けてよかったね」とか、そんな程度だったと思う。けれど、大学受験の話題が出始めたころ、高校受験の時と同じ反応はできなかった。弟が声をかけてもらえそうだという大学は、誰もが知る有名大学だったからだ。

これはまずい、と思った。弟が進学出来そうだと指折りして吹聴する大学名は、わたしの通う高校からでは、とてもじゃないけれど、進学できるようなレベルの学校ではなかった。けれど、目の前の現実を「はいそうですか」と受け入れられるほど、わたしのプライドが都合の良いわけもなく。双子なのに、通っている大学で弟に負けるなんて絶対に嫌だった。弟が有名大学へ行くと言うのなら、その大学と同じレベルか、それ以上じゃなければ。

わたしは、隠れて勉強することにした

わたしの通う高校では、そもそも大学へ進学するかどうかを迷う生徒がいるレベルで、有名大学を目指す人なんてほとんどいなかった。進路面談で、担任教師に志望校を告げると、無理だと一蹴された。だからわたしは、隠れて勉強することにした。

予備校のある街は、郊外都市ではあるけれど、東京都内の繫華街だ。学校を終えると、足早に電車に乗り込み、各駅停車で5駅ほど。家や学校から特別離れているわけではないし、何度も遊びに来たこともある街だ。けれど、「受験勉強」という明確な目的を持って、この街に通う毎日は、一歩踏み出した自分の意志を確信させるようで、無謀な目標を掲げた受験生の背中を強く後押しした。

それから入試試験が終わるまで、学校の授業が終わると予備校へ直行し、自習室が閉まるまで必死に勉強した。努力の甲斐あってか、勉強を始めた頃から比べれば、偏差値は20以上も上がった。もしかしたら本当に合格できるかもしれないと思った。

弟が有名大学へ行かないのなら、わたしが受験勉強をする理由なんて無い

18歳の秋が終わった頃、弟が大学へ合格した。けれど、弟が合格したのは、わたしが羨んだ有名大学ではなかった。弟は、大学の偏差値や知名度ではなく、自分とクラブとの相性で入学する大学を決めたのだ。愕然とした。弟が有名大学へ行かないのなら、わたしが受験勉強をする理由なんて無いに等しかった。入学試験が刻々と迫る中、わたしはゴールを見失った。

せっかく今まで勉強したのだし、どこかしらの大学へ合格しなければ、進路が途絶えてしまう…。一体何のために、誰のために大学へ行くのか分からないまま、試験日を迎えた。弟に対抗して受験を決めていた有名大学を2校と、合格出来そうな大学を1校、受験した。後者の1校にだけ、合格した。

そんな「わたし」は、どうしようもなく、この街に似合っていると思う

わたしが唯一合格した大学は、通っていた予備校と同じ街にある。大学生になった今も、毎日通うのは、予備校のある駅の、すぐ隣の駅だ。通学電車の車窓の外には、いつも予備校が映り込んでいる。

東京郊外にあるこの街は、わたしが22年間住む街と、多くの人が何かを求めてやって来る、煌びやかな東京都心の、ちょうど中間にある。まだ何者にもなれていない「わたし」は、受験生だったあの時と変わらず、同じこの街にいる。「わたし」という人生の、道中にいる「わたし」は、どうしようもなく、この街に似合っていると思う。いつか自分を誇ることができるまで、わたしは一歩踏み出したままの、この街にいる。