お姉ちゃんへ。私は強く自信に満ちたあなたになりたかったけど

拝啓、お姉ちゃん。叶うなら、私はあなたになりたかった。
三歳上の姉は強く奔放な人だ。校則がゆるい、自由な校風の高校に進学してからその奔放さは開花した。
自力でピアス穴を五個開ける、授業をサボって遊びに行く、担任教師と服装を巡って口論し論破……もっと強烈なエピソードもあった気がする。
いくら自由度が高い高校だからって、と両親は呆れていたけど、姉本人は「法律には抵触してない」と堂々としていた。
姉は人付き合いもそんなスタンスで、相手によって態度を変えるということがなかった。
歯に衣着せぬ言動のせいか女友達は多くなかったものの、異性からは相当モテていた。飾らない性格と、整った顔立ちゆえだろう。
私はそんな姉が羨ましかった。中学受験に失敗した私は当時、滑り止めの私立に通っていた。
レベルの高い高校に行った姉と違い、期待に添えなかったことが申し訳なくて、いつも両親の顔色をうかがって生きていた。それはそのまま、怒られないよう、不快感を与えないよう、常に人の目を気にして生きるスタンスへ繋がった。
怒られたくない一心から、スカートを短くすることさえ出来なかった。
「似てない姉妹だね」と、ことあるごとに言われた。曖昧に笑いながら、知ってるよ、と何度も心の中で返した。
姉が羨ましかった。それでも恨みも憎みもしなかった。そこそこ喧嘩もしたけれど、姉は私に優しかったから。
友達に容姿を揶揄された日のことだ。帰宅してからも悔しくてつらくてずっと泣いていたら、「ブスなわけない、私の妹なんだから」と、姉は憤慨してくれた。その子は見る目がない、そんなのは言わせておけ、と。
自信に満ちた姉の在り方が、その時は本当にありがたく嬉しかった。
そんな姉でも強さを失いかけたことがある。大学三年になり、就職活動をするようになってからの姉は毎日のように泣いていた。内定がない、このままじゃどこにも就職出来ない、と。
当時私は推薦で大学に合格して、学校も自由登校期間だったのでずっと家にいた。それなのに、姉と話をした記憶がほとんどない。記憶にあるのは、いつも追い詰められているようだった姿だけ。スーツを着て家を出る、無言で問題集に向き合う、母と激しく喧嘩する……。
この頃から私は姉のことを「お姉ちゃん」と呼ばなくなった。羨ましくて仕方なかった強い姉が、いつもどこか苦しそうなのが悲しかった。
結局姉はなんとか新卒で就職したのだけれど、その会社はすぐに辞めた。それから何度か転職をして、今は自分のやりたい仕事をしている。
やりがいがないから、と一度目の会社を辞める時は、何度も両親に説得されていた。
もう少し続けてみたら? という言葉に
「私がやりたいようにする」
ときっぱり返した姉に、すごいな、敵わないな、と改めて思わされた。
姉はいつも自分の信じる道を進み、臆さず前だけを見て生きている。その心も強く自信に満ちているのだと、ずっと思っていた。
けれど最近、案外そうでもないのかもしれない、と思うこともある。
休みの日、出かける支度をしていると、どこ行くの? と姉は必ず尋ねてくる。友達と遊びに行くと返すと、「いいなあ、友達が多くて」「誰とでも仲が良いね、すごいね」と姉はこぼす。
そう言う時の彼女はいつも、どこか寂しげな顔をしているような気がする。
姉みたいになりたい、と何度も思った。
けれど私は姉にはなれない。今も人の目が気になるし、自分の意見を主張するのは怖い。
それでもそんな自分自身を、昔よりも受け入れられるようになった気がする。人の目が気になるというのは、裏を返せば他人にいつも気を配って生きられるということかもしれないと。
いいなあ、と言った姉の声が、それを教えてくれた。
私にとっての姉は憧れそのものだ。なりたくてもなれない、けれど目で追わずにはいられないひと。
そして少しでもいいから、姉にとっての私もそうであり続けたいなと思う。
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