2020年1月、ヘアドネーション(髪の寄付)のために2年伸ばし続けた髪をばっさり切った。伸ばす前は10年以上ずっとショートカットだった。
ヘアドネーションですね、と確認した美容師さんは、胸まで伸びた私の髪を丁寧に分けて束ね、はさみを入れてすべての髪束を切り落とした。
「2年伸ばしても、切るのは一瞬なんですよね」
と、はさみを動かしながら言った美容師さんの声は、今でも耳の奥に残っている。

努力をすればいつかかわいくなれると信じたかった

「失敗したの? それ」
友達に笑いながらそう言われたのは、中学二年生の冬だった。髪の長さはそのままに毛先だけ梳く、という当時流行っていた髪型にした翌日のことだ。
馬鹿にするニュアンスを隠そうともしない笑み。投げられた言葉の鋭さを思い出すと今でも身がすくむ。

昔からかわいらしいものが好きだった。少女漫画の女の子たちに憧れて、髪はいつも鎖骨の下あたりまで伸ばしていた。けど服装や自身の顔立ちには無頓着で、中学に入ってから周囲の女子のおしゃれさに震え上がった。

かわいいものを好きなだけでかわいくなれるわけではない。かわいさは勝ち取るものだと感じた。それからは必死に雑誌を読んだり、姉の服を借りたりした。
かわいくなりたかった。努力をすればいつかかわいくなれると信じたかった。
けど友達のひとことで、それは違うと思い知った。

私はかわいくなれない。そう思ったら全部どうでもよくなった。

私にとって、短い髪は武装だった。誰からも傷つけられないための鎧。

中学三年生の夏には、伸ばしていた髪をばっさり切ってショートカットにした。
すると驚いたことに、周囲の反応が目に見えて変わった。
「かっこいい」「似合う」「イケメン」……あの時、一生分の称賛の言葉をもらった気がする。そこまで話したことがなかったクラスメイトでさえ私を「かっこいい」と褒めてくれた。

それはあまりに露骨な変化だった。誰もがかわいさを諦めた私を絶賛した。
ああ、こっちだったか。やけに冷静にそう思ったのを覚えている。この路線なら誰も私を傷つけない。私は方向性を間違えて生きていたのだと。

それから10年、私はショートカットを貫いた。スカートは制服の時だけ、私服はボーイッシュを通り越して男子そのもの。元々薄い顔立ちに長身痩躯だったため、「男の子気取り」は自分でも驚くくらい板についた。大学生になる時には短い茶髪に金のメッシュを入れ、ピアスを開けた。そんな私の外見を誰もが褒めてくれた。
私にとって、短い髪は武装だった。誰からも傷つけられないための鎧。その姿でいれば、誰も私を蔑まない。
気付けば髪を肩より下まで伸ばすのが怖くなっていた。誰が言ったわけでもないのに、似合わないと嘲笑する声が聞こえた気がして。結べる長さになろうものなら、うなじが出るほど短く切った。

好きな時に好きな格好をする。それは想像以上に楽しかった。

10年ぶりに髪を伸ばし始めたきっかけは母だった。母は本でヘアドネーションのことを知り、伸ばしてみようと思ったのだという。
手入れが億劫だから、という理由でショートカットを貫いていた母が「髪型を考えるのが楽しい」と長い髪で楽しげにしているのが印象深かった。

その姿に、私も伸ばしてみようかな、と思った。かわいくなれなくても、一度くらい長い髪を手にしてみたかった。そして言い方は良くないけど、寄付のためという理由があれば気負いなく髪を伸ばせる気がした。
突然髪を切らなくなった私は、当然たくさんの疑問の声を浴びた。どうして伸ばしてるの? と訊かれても、 「髪を寄付するから」とさえ言えば皆納得したし、似合わないと言う人もいなかった。

そもそも、外見を揶揄してコミュニケーションを取った気になるような人は、もうどこにもいなかった。そのことに気付いたら一気に気が楽になった。そして同時にこうも思った。たとえ誰がなんと言おうと、私は自分の好きな外見を手にする権利があるのだと。
髪が鎖骨の下まで伸びる頃には、毎日ヘアアレンジをした。流行のスカートも買った。なんの負い目もなくそうすることが出来た。鏡に映る私は相変わらずショートカットが似合いそうな顔をしていたけど、長い髪さえあればかわいらしいスカートでも違和感がなかった。仕事用の最低限の化粧だけでなく、華やかな顔立ちを作るためのメイクも覚えたらどんどん楽しくなった。
好きな時に好きな格好をする。それは想像以上に楽しく、胸がすくような行いだった。

2年経って、髪は寄付出来る長さまで伸びた。いざヘアドネーションをする、となったら、当然次の髪型を決めなければならない。少し悩んで、生まれて初めてボブカットに挑戦することにした。傷付かないためのショートでも、ヘアドネーションのためのロングでもない、短くしつつもかわいらしさを諦めないヘアスタイル。
昔の私だったら絶対にそれは選ばなかった。似合わないくせに、かわいくないくせに何やってんだ、と言われるのを怖がって、またうなじが出るほどのショートにしていただろう。
けど私はボブカットにしてみたかった。そうすればもうどんな髪型でも、どんな服でも生きていけるような気がした。

好きな服を着て、好きな髪型で生きたいと思えるようになった

「ドネーションありがとうございます。大切に送らせていただきますね」
髪を切ってくれた美容師さんは、帰り際にそう言って切った髪を見せてくれた。ゴムでまとめられた20センチほどの長さの髪束。2年で私を変えてくれた髪。これからは、この髪を必要としている誰かのために使われる。
美容院を出て、デパートのトイレの鏡で自分を見た。似合う髪型かどうかはわからなかったけど、好きだと思った。髪型自体だけでなく、この髪型を素直に選べるようになった自分も。

似合うファッションと好きなファッションは違う、とたまに聞く。その言葉の通り、きっと私が好きなものは私にそぐわないものばかりなのだろう。ショートカットに戻せばまた、似合うね、かっこいいね、と、純度100パーセントの褒め言葉をもらえるかもしれない。
けど私はまた髪を伸ばしてみるつもりだ。かわいらしくはなれなくても、自分のためにそうしたい。好きな服を着て、好きな髪型で生きたいと思えるようになった私のために。