子供を産まなくても苦しくない社会を。卵管を一つ摘出して思うこと

4月某日、一週間遅れで人生146回目の生理が来た。来なくなったわけではなかったんだな、といつもの腹痛に苦しみながら思った。生理が遅れると生理痛も重い気がするのは気のせいだろうか。
かつて私は、体内で腐っていた臓器を手術で取り除いた。その時から、月に一度のこの現象に敏感になったと思う。
6年前のある日、朝からひどい腹痛と吐き気と高熱に見舞われ、学校を休んで病院へ行った。地元の内科から隣の市の総合病院へ移され、たくさんの検査を受けた。
「子宮周りに影が見えます。腫瘍かと思われます。手術で取り除きましょう」
子宮、腫瘍、手術。先生から告げられた言葉たちに、付き添いの母は明らかに動揺していた。私はというと、この苦痛から解放されるなら手術でもなんでもしてくれという気持ちだった。
すぐに手術が行われ、腫れていた左の卵管が摘出された。捻れて腫瘍のように膨らんだ卵管は体内で腐り、壊死していたという。
術後の説明の中で、先生は何度も「子宮や卵巣などの、排卵・妊娠にじかに関わる臓器が失われたわけではないので、生理は今後も来るだろうし、妊娠に影響はないはずだ」と強調した。ただ今後どんな影響が出るかはわからない、生理が来なくなったらすぐに婦人科を受診するように、とも言った。
それまでセックスをしたこともなく、結婚や出産も未知の世界の話だったから、私はただただ頷いていた。生理痛もなかった私にとって、生理は月に一度のルーティーン、それ以上でも以下でもなく、止まるなら止まるで仕方ないか、くらいにしか思わなかった。
だから先生が去った後、ずっと付き添っていた母が「よかったね」とこぼしたのを聞いて驚いた。母が心の底から安堵しているらしいことも、生理はいいもの、と大人たちが全員思っているらしいことも。私にとってはただの月一の、文字どおりの生理現象でしかなかったというのに。
退院後、学校の友達やバイト先の人に経緯を説明すると、みんな真っ先に「妊娠とか大丈夫なの」と訊いてきた。それはもう、面白いくらいの異口同音っぷりだった。つまり生理そのものというより、"生理が来る=妊娠の可能性がある"ということが良きものとされているのだと、ようやく悟った。
不思議なことに、片方の卵管をなくしてから生理痛が来るようになった。婦人科に行っても原因はわからず、痛み止めを処方されるばかりだったので通院はやめた。
ねじ切られるような痛みにのたうちまわるたび、私はいつも「よかったね」と言った母や友達たちの声を思い出す。
あれは誰にとっての「よかった」だったんだろう。
子どもを産める体のままでよかったね。普通のままでいられてよかったね。かわいそうにならなくてよかったね……聞いてもいないそんな声が、痛みとともに私を締め付ける。
私たちが幼かった頃に比べて、社会はずいぶんと変わった。働き方を含む他人のライフスタイルに関しては、かなり寛容な人が増えたように思う。
そんな中でも未だに、女性は子どもを産むことが当たり前だと言われている気がしてしまう。
子どもを産まないのは変だ、子どもを産めない人はかわいそうだ……誰もがそう思っているわけではないとはわかっている。けど事実として、そういう風潮は容易にはなくならないだろう。子孫を残すという生物の本能がある限りは。
それでも、どうか子どもがいてもいなくても苦しくない社会を、と願ってしまう。子どもを産まない、あるいは産みたくても産めない人が間違っているはずがない。子孫を残さない人間が、ただ生まれて死んでいくだけの存在であるはずがないのだから。
生理が止まるその瞬間のことを、私は時折考える。今は正常に機能しているけれど、いつまたトラブルがあるかはわからない。
残された右の卵管、あるいは他の部分が機能しなくなって妊娠できなくなったら。社会は私をどう扱うだろうか。女として生を受けたのに役割を果たさず死んでいく、哀れで無駄な人間だと思うだろうか。
そんなことはない、と声を大にして主張せずとも、それを当然のように人々が思ってくれる日はいつか来るだろうか。
その選択をした、あるいはせざるを得なかった女性が傷付くことも損なわれることもないような日常が訪れることを願いながら、私はいつか生理が止まるその日を静かに待っている。
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