辛い思いをしている人へ「やめてもいい、心はそんなに弱くはない!」

夏は決して好きではない。真っ白くて強い太陽の光も、流れていく汗の感触も、寝苦しい夜の空気も苦手だ。梅雨が明けて街が強い光に照らされると、ああ、夏じゃん、と少し疲れたような心地になる。
それと同時に、毎夏心によみがえるものがある。今でも鮮明に思い出せる、小学校6年生の夏期講習の記憶。毎日が苦しくて、それでも「辞めたい」と言えなかったこと。将来というものに漠然と不安を覚えていたこと。報われないかもしれないと思いながら背負う大人の期待が本当に辛かったこと。
未だに夏があまり好きではないのは、苦しかったあの時のことを思い出してしまうからかもしれない。
私は中学受験をするために、小学5年生から塾に通っていた。学校の長期休みごとに講習があって、夏期講習は特にハードだった。朝8時半に登校、そのまま9時~17時まで授業。授業が終わってからも自習室で宿題や自習をして、帰宅してからは月に一度のテストの対策に追われていた。6年生になってからは、志望校ごとの過去問を解き、合否判定模試の勉強もしなければならなかった。
当然、友達とは遊べず、家族と旅行もできず、塾と自宅の往復で夏休みが過ぎていった。授業はいつも尋常でないほどの緊張感に満ちていた。先生たちもピリピリしていて、成績が下がれば泣いて怒る人もいた。今思うと異様な空間だ。
疲弊して帰宅した自分の家ですら、私の心は休まらなかった。一向に上がらない成績に両親は業を煮やしてか「どこにも合格できないよ?」「今さら公立中学に行きたくないでしょう?」「どうしてそんなにやる気がないの?」と私を叱った。その後泣きながら両親に謝って、次の日の朝には泣きはらした顔のまま塾に行く。
ストレスと暑さで毎日吐きそうだった。道ですれ違う同い年くらいの子たちが、プールバッグを持って笑っていると泣きたくなった。早くこの辛い日々が終わってくれと毎日思っていた。けど、終わったらどうなるんだろうと不安に思ってもいた。大学までストレートで進める学校に合格しない限り、またどこかで受験が待っている。それに付属校に受かったとしても、両親が望むような大学でないならきっと同じだ。
そもそも伸び悩んでいたその時点の成績では、第一志望の中学に受かる見込みは薄かった。第二志望の中学でも半々くらい。「続けていれば成果が出る」と大人たちは言った。しかし、私の成績はある時点からほとんど変わらなくなって「嘘じゃんそんなの」と思ったのを覚えている。努力が報われるなんて嘘。いい学校に行ったら、楽になれるなんていうのも嘘。
「なんでこんなことしてるんだろう」カビ臭いエアコンのニオイが立ち込める自習室で、そう思った瞬間のことは忘れない。いくらやっても結果は出ず、今こんなに苦しいのに、また同じ目に遭わなければならない。望む結果にならない限り、いつまでも両親には否定され続ける。そんなことがこの先ずっと続くなら、人生というものはとても辛いように感じられた。
泣きたいほど苦しくなって「もう嫌だ、逃げたい」とその時初めて思った。けど方法がわからなかった。受験をやめるという選択肢すら見えていなかったのだと思う。結局、自習室の机で少しだけ泣いて、無理やり逃避願望を忘れた。
どうにもならない、という予感を抱えたまま夏を終えて、入試本番まで勉強し続け、そしてあっさり第一志望の学校には落ちた。
太陽が輝く半袖の季節になると、私は苦しかったあの夏のことを思い出す。
「これ以上は無理だ」と、なんとなくわかっていながら勉強を続けるのは辛かった。けど、大人たちに用意された道しか私には見えていなかったから、止まらずに進むしかなかった。踏み外したらもっと怖いことが待っている気がしたから。
結果的に、進学した滑り止めの学校で、私はとても楽しい6年を過ごした。今でも会う友達が何人もできたし、部活にも夢中になれた。何より、厳しい校則と教師の目をかいくぐって少しずつ悪さ(買い食いとか)をする日々は、それまで何かに反抗したことがなかった私にとって、とても刺激的だった。
「大人の言うことを100%聞かなくてもいい。自由な選択には責任が伴うけれど、人生が終わるほどの失敗はそうそう訪れない。それに、失敗したように思える選択の先でも、たいていのことはなんとかなるし、そこではまた違った出会いが必ずある……」
もし、あの夏に戻れたら、12歳にして人生に絶望しかけていた私にそう伝えてあげたい、なんて思うこともある。けどそれは叶わない夢だから、代わりに、私が過ごしたあの夏と同じ絶望を味わっている誰かへ伝えたい。
どうにもならないことばかりに思えるだろうけど、絶対にあなたは大丈夫。足を止めたっていい、やめたっていい、自分のしたいようにすればいい。その選択の先で必ず、今よりもいい未来が待っているから。
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