これまでの人生の中で辛かった経験は何かと問われれば、この話を挙げる。
中学2年生までやっていた格闘技の大会に出場するための減量トレーニングだ。大会で成績を残すために、自分の平常体重より下の最軽量階級にエントリーしていた。

食事も水分も減量して汗や尿は出ないのに、辛くて涙が出た

減量は計量日の2週間前から開始する。
食事は朝と昼の2回のみ。白米と茹でただけの卵・キャベツ・鶏肉をグラム単位で計量する。料理とはいい難いそれしか口に入れることが許されない。

自宅で朝食を食べる分にはそこまで気にならない。けれど、中学校の昼食時は、クラスで班ごとに机を向かい合わせにする。クラスメイトが色鮮やかなおかずの入った弁当を広げる中、色味のない弁当の中身を晒す。
容器の半分程の嵩しか入っていない中身は、すぐに食べ終えてしまう。
箸を進めまいと、普段より饒舌になって班の人に話しかける。口に箸を運ぶよりも、黒板の上に掛けられた時計を確認する回数の方が多い。
減量をしていると、精神的に追い込まれているからか、“食べたい”欲求が脳を支配するからか、時の流れが異常に遅く感じられる。
「あれが食べたい」という欲求と「あと何日と何時間我慢すれば終わる」という抑制が脳内を入れ替わり反復する。

また、水分を摂れないのも辛い。
計量まで1週間を切ると“水抜き”を始める。身体から水分を減らすことで体重を減らすのだ。
水分を控えると、発汗や排泄は微量になっていく。厚着で練習やトレーニングをしても、滲む程度の汗しか出ない。銭湯のサウナへ通ったり、自宅の浴槽でサウナスーツを着たりして、出ない汗を絞り出す。
便秘が始まり、便器の中にドングリのような小さくて硬い便が転がる。少量の排尿は、疲労が凝縮されて酷く濃い色をしている。
喉が乾燥して、頻繁にうがいをする。間違えても口内に含んだ水を飲み込まないように慎重に。
夜、喉が渇いて眠れなくなる。汗や尿は出ないのに、目からこぼれ落ちる涙が枕を濡らす。

だんだん量らずとも体感で自分の増減体重がわかるようになる。それでも、まるで何かの儀式のように、日に何度も体重計に乗る。

食べたくて食べたくて仕方がなかったのに…私の身体が拒んだ

ようやく計量を終えて、一刻も早く水分を摂りたいと、ペットボトルの水を飲み干す。予め買っておいたおにぎりを貪る。
けれど、2週間をかけて食べ物や飲み物を排除してきた身体にそれを押し込むことは憚れる。
すぐに気分が悪くなり、トイレの個室へ駆け込む。喉を下ったばかりの食べ物が、形を変えて便器の中へ落ちる。それを拒んだばかりの腹が情けない音を立てる。私はそれから目を背けられず、涙を流す。

食べたくて食べたくて仕方がなかったのに、私の執念が食べることを許さなかった。
食べたくて食べたくて仕方がないのに、私の身体が食べることを拒む。

何度も何度も途中で辞めてしまいたいと思った。毎度毎度こんな思いをして大会へ出るのは辞めようと思った。
歳を追うごとに身長は伸び、ホルモンの発達が脂肪を蓄えようとして、最軽量階級へ出場するために減らす重量は増えていく。

競技を始めたのは、全国区で活躍する双子の弟の影響だった。
弟の活躍を応援する両親の関心を私にも注いで欲しかった。弟のように、大会でいい結果を残して、両親に褒められたかった。

けれど、弟の後を追って競技を始めた私が戦う相手は、弟と同じくして、私よりずっと幼い頃から競技に取り組んでいる選手ばかりで。
私が勝ち上がるには、力を身につけるより、身を削ぎ落す方が余程手っ取り早かった。だから私は、手段として減量を選択した。

今でも鮮明に思い出す、減量していた時の空腹感と喉の渇き

減量は、摂食や発汗、排泄、身体のあらゆる機能を侵害し、日常生活や精神を蝕んだ。
今でも、あの空腹感と喉の渇きを鮮明に思い出すことができる。辛い記憶が焼き付いている。

食べ物は、人の身体を創る。水は、人の身体を整える。思いは、人を生かす。
不器用に闘っていた私は、弱くて、とても臆病だった。あの時の私はあのようにすることでしか、自分を奮うことができなかった。

私が口へ運ぶ食べ物が私の身体を創るように、私の選択が私の人生を築く。
あの辛い日々を繰り返さないように、私は考える。どんな美味しい物を食べたいか、何をして生きていきたいか、自分の意思で選んでいけるように。