もう会えないあなたの言葉に生かされて、私は今日も文を書いています。

今年の冬、働いていた職場のビルのオーナー・Tさんが亡くなった。
「事故の可能性は低いって」
休みの日にかかってきた社長からの電話の、その一言ですべてを察した。Tさんは、ずっと心の病を抱えていたからだ。
通話を終え、しばらく茫然とした。その場からまったく動けなくなって、「あ、ショックなのか」と他人事みたいに思った。
Tさんは私に、忘れられない言葉をくれた人だった。
転職して間もない頃、仕事中に偶然会ったTさんに、
「どうしてここで働いてるの?」
と尋ねられた。純粋な疑問の声に、言葉が詰まった。たぶん、社長か誰かが説明した“大学卒業後に事務職に就いたものの、一年足らずで辞めて飲食店に転職”という私の経歴が不思議に思えたのだろう。その時期は同じ疑問を抱いた人たちから、似たような質問を毎日のように投げかけられていた。それなのに、なぜかその時はいつものように答えられなかった。
パワハラと長時間のサービス残業が当たり前な、前の職場が嫌になったから。学生時代にバイトをしていた縁で転職を誘われたから。自分の時間を大切にできそうなシフトだから。どれも正しい理由だったけど、決定的な要因ではなかった。それらは誰に説明しても納得してもらえる、聞こえのいい言い訳とも言えた。
Tさんはまっすぐな目で私を見ていた。社長からは、人のことをよく見ている優しいオーナーだと聞いていた。この人はきっと、出会ったばかりの私という人間のことが知りたいんだろうと思った。それなら、へらへらと言い訳はしたくないとも思った。
だから私は、考えた末に
「小説を書く時間がほしくて……」
と言った。それが本心だと、私自身もその時ようやく思い至った。
昔からずっと小説家になりたくて、文を書かなかった時期がなかった。けど社会人になると、疲弊した心から創作意欲は消えていった。
私はただ、ずっと小説を書いていたかった。褒められたことでなかろうと、普通でなかろうと、それだけのためにキャリアを捨ててもいいと思えるくらいに。
Tさんは私の言葉に対して、
「それはとてもいいね」
とだけ言って笑った。その時、初めて背中を押してもらえた気がした。私自身ですらひた隠しにした夢を受け止めてくれたTさんが、とてもまぶしい存在に思えた。
それから1年ほど、Tさんとつかず離れずの交流は続いた。立ち話の別れ際にはいつも「小説頑張って」と笑って言ってくれたことを今でも思い出す。
けど、ある時を境にTさんとの交流は途絶えた。以前から抱えていた心の病が悪化して、外にも出られないらしい……そんな話を社長から聞かされた時は心底驚いた。だって、あんなに明るく笑っていたのに、と。
「どうしようもないよ、難しい病気なんだから」
社長が暗い顔でそうつぶやいたのを覚えている。そう言われてしまうと、私も頷くしかできなかった。
Tさんが訪れなくなろうとも仕事は続く。仕方のないことだと、誰も諦めている雰囲気が漂っていた。けど、私はTさんを見捨ててしまったような気がしてならなかった。
Tさんは私に、自分でも忘れかけていたものを思い出させてくれた。それなのに、何もしてあげられないのだろうか。
もやもやする気持ちの一方で、Tさんのことは職場でも禁句となりつつあったから、誰かに相談することもできなかった。そうして今年の冬、Tさんは亡くなった。
あれから半年ほど経った。私は仕事を辞め、今はひっそりと文を書いて暮らしている。けど、ふとした時に湧き出す後悔の念は変わらないままだ。
私は、お世話になった人を救えなかった。専門家でも医者でもないけど、せめて話を聞いてあげていたら。もう少し社長と、Tさんについて話し合えていたら。
どうにもならない「たられば」は、今でも日々私を締め付ける。けど、どれほど悔やんでも過去には戻れないし、Tさんのいない今を変えることもできない。
だからせめて、忘れないようにしたい。消えかけの夢を思い出させてくれた人がいたことを。その人がくれた言葉のすべてを。
文章を書くたびに、「それはとてもいいね」という言葉を思い出す。そう願ってくれたTさんのためにもこの生き方を貫きたいと、私は今日もキーボードを叩いている。
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