3年前の健康診断のことを、今でも時々思い出す。その日判明した私の体重は42キロだった。元々痩せ型ではあったけど、そんな数値が出たのは初めてのことだった。
【身長体重:要注意】と書かれた用紙を手に、しばらくぼんやりと待合室に座っていた。特に焦ることもなく、「やっぱりな」と無感動に思っていた。当時の私は、職場でほとんど食事ができていなかったからだ。

「食べなきゃ」とわかっていても、萎縮した心が食べ物を拒否した

昼休みを返上して働かないと終わらない仕事量だった、というのもある。けど単純に、大きなストレスを抱えていると食事ができなくなってしまうのだ。受験の時も就活の時もそうだった。理不尽に叱られたり否定されたりして気持ちが落ち込むと、食べ物が喉を通らなくなる。
当時の職場では、直属の上司がどうしても苦手だった。明らかにパワハラな言動があると、萎縮した心が食事を拒んだ。小さな会社なので、パワハラを訴えられる人もいなかった。
上司からは詰められ、仕事も終わらず、昼休みはゼリー飲料だけで過ごす日々だった。夏になると、夏バテによってそれすらきついと感じるようになった。限界が近いとわかっていても、食事はできなかった。

「辞めるって聞いて少し安心しました」

転機が訪れたのは、健康診断を受けてから間もないある日。学生時代にアルバイトをしていた店から「新店を開けるから戻ってこないか」と誘いがあったのだ。
私はすぐに「はい」と返事をした。迷いはなかった。職場にも正式に辞めることを伝えた。入社して1年も経っていなかったけど、引き止められることはなかった。苦手な上司を含め、誰もが納得したような顔をしていた。
「どんどん痩せていくから、心配だったんです」
退職する日、同僚の1人がそうこぼしたのが印象的だった。
「辞めるって聞いて少し安心しました。おいしいものたくさん食べてくださいね」
と彼女は笑った。本当に安堵したような笑みだったから、ありがたさと申し訳なさで少し泣いた。

初仕事は「食べること」。涙が出そうなほどおいしかった

新しい職場は飲食店だった。顔なじみの社長は、初日に会うなり「痩せたね」と驚いていた。
「ちゃんと食べな。食べて寝て、それからだね」
という言葉のもと、まず私に課せられた仕事は"食べること"だった。それほどひどい顔をしていたらしい。

簡単な雑務の後でまかないを食べた。食事自体が苦痛になっていたから心配だったけど、それは杞憂だった。自分の舌が生まれ変わったのかと思うくらい、まかないはおいしかった。
大げさでなく、涙が出そうだった。おいしいと思えたことが嬉しく、ありがたかった。まだなんとかなる、大丈夫、と、死にかけの心に自分の体が訴えているようだった。
結局、食べたものはその後吐いてしまったのだけど、心はきちんと栄養を摂取した。私はその日から、どんどん食欲を取り戻していった。

まずは食べて、眠って。全てはそれから。 

食事ができるようになってから、死にたいくらい落ち込んでいた気分が嘘みたいに軽くなった。体が動かせるようになり、仕事ができるようになっていくのも嬉しかった。
食欲は人間の三大欲求の一つだけど、それすら失ってしまうくらいの暗闇は、誰の心も等しく容赦なく襲う。

あの健康診断から3年経った。体重はすっかり戻り、今では何を食べても吐くことはない。けど、今でもささいな失敗で、乗り越えられないくらネガティブな感情に支配されることがある。それでも昔と違って「あ、今呑まれそう」と思った時点でちゃんと対処できるようになった。それ以上を考えてしまう前に、食事をするのだ。
好きなものを好きなだけ食べて、眠れそうだったら眠る。何をするにしても、全部その後だ。食べて、眠って、体を動かして……そうやって生きてさえいれば、たいていのことなどどうにかなるのだから。
今年もまた、夏バテですべてを投げ出したくなる季節が近付いている。せめて好きなものを好きなだけ食べてやると、私は今から冷凍庫の中に大好きな甘いものを詰め込んでいる。