生温い外気が露出した肌をなでる季節、私は1つ歳を取る。有難いことに、毎年誰かしらが誕生日を祝ってくれる。
プレゼントしてもらったケーキを味わいながら、ふと考えてしまうのは、ケーキを食べるシチュエーションって、その時の人間関係を表しているなということだ。

中学時代、スクールカースト「下位層」にいたことで、「上位層」の男子にいじめられたり、病気を患って半不登校状態になった。そんな私は、たくさんの友達がいて、華やかな学校生活を送っている「上位層」の女子に憧れていた。

高校へ進学すると、クラスを仕切りそうな女子に自ら話しかけ、友達になっ(てもらっ)た。彼女らと連れ立ってダンス部に入部した。母親がインストラクターで、幼い頃からダンスを習っていた私は、部活に溶け込むことができた(ダンス自体は別に好きではなかったけれど、その時ばかりは母親にやらされていてよかったと思った)。
ダンス部は、校内中の華やかな女子を集めたような部活で、入部したならば、「上位層」女子の称号を得たも同然だった。
放課後になると、派手なTシャツとバスパン(バスケットボールパンツ)に着替え、空き教室か、購買部前に集った。スマートフォンで大音量の洋楽を流して振り付け練習をした。踊りに飽きると、地べたに座り込んでお喋りをした。
当時の私にとって、活動内容云々よりも、その場に参加出来ている実感がとても重要だった。羨み続けていた「上位層」の女子の仲間入りを果たした。

50分経っても待ち合わせに現れない友人たち

地元の夏祭りでダンスのステージに立つことが決まった。夏休みが始まると、学校の最寄り駅の「踊り場」と呼ばれる場所へ通い、チームの子たちと練習をした(と言っても、大半の時間はお喋りをしていた)。

ある日、いつも通り踊り場へ行くと、チームの誰の姿もなかった。不思議に思いながらも、たまたま皆遅れているだけかもしれないし、待ってみることにした。けれど、40分、50分経っても誰も現れない。

「皆、どうしたのー?」
「今日練習なくなった?」
LINEを送っても、誰からも返事がない。けれど、私が送信したメッセージの横には、確かに「既読7」の文字が付いている。

陽の差さない踊り場のアスファルトの冷たさをズボンの布越しに感じる。
もしかして、何かしら皆を不快にするような事をしてしまって、ハブられているのかもしれない、と思う。中学時代の記憶がフラッシュバックして、消え入りそうな気分になる。三角座りをしている脚を両腕で引き寄せ、膝の上に顔を突っ伏した。

サプライズ?みんなに見下ろされながらケーキを飲み込んだ

「○○?」
つむじの上から私の名前を呼ぶ声がした。顔を上げると、チームの子たちが並んで、私を見下ろしていた。
「誕生日おめでとうー!」
1人の子が、白色の箱を手渡してくれる。蓋の開かれた箱の中には、火の灯ったロウソクが立てられたケーキがある。その日は、私の16歳の誕生日だった。
「…え?なんで皆いるの?なんで私の誕生日知ってるの?」
先程までの孤独感と、突然の皆の登場のギャップに混乱する。
「○○って、名前からして夏生まれじゃん?」「Twitterに誕生日載ってるし~」「ほらほら、火消して」
溶けだしているロウソクの火を吹き消して、ケーキと皆の顔を交互に見ていると、「早く食べなよー」と言われる。
「でも、どうやって食べるの?皆で一口ずつ?」
箱の中には、カットケーキが1つ入っているだけだ。フォークも1本しかない。
「何言ってんの(笑)」「皆で食べられるわけないじゃん」「○○のだよー」
「…ありがとう。…いただきます」
プラスチックのフォークを立てて、箱から直接ケーキを食べた。立ったままの7人が私を見ている。視線に堪え切れなくなって、立ち上がり、「やっぱり皆で食べようよ」と、ケーキを差し出す。首を振られて、黙々とケーキを食べるしかなくなる。

憧れの「上位層」のはずなのに、猛烈な違和感

急いて口に詰め込んだケーキのスポンジが口内の水分を奪う。息が詰まりそうだ。
華やかな友達がたくさんいて、誕生日を祝ってもらえて…。憧れの「上位層」の女子の仲間入りを果たしたはずなのに、猛烈な違和感を抱いていた。
ケーキの甘味が、私の望む「友達」について問う。
…私は、待ち合わせに遅れているのを連絡してくれる友達がいい。同じ目線で一緒にケーキを食べてくれる友達がいい。
それに、きっと私は、自分が祝う側の立場になった時、こんなにたくさんの友達の誕生日を思うように祝うことは、到底できない。

私は我儘?でも、ひとりじゃなくて一緒にケーキを頬張りたい

ショーケースに並ぶケーキは、どれも綺麗で美味しそう。できることならば、全部買って食べてしまいたい。けれど、私の胃袋には容量があって。私の持てる友達には限りがあって。
ちゃんと味わうために、今日は1つだけ買って帰ろう。あの人と食べるためにお土産にしよう。
そんな風に考えながら、想いながら、友達付き合いって、していくのかもしれない。

私は欲張りだろうか、我儘だろうか。けれど、ずっと望んでいた幸せを手に入れた時、感じたのは孤独だった。
これは、「下位層」も「上位層」も、1人でいることも大人数でいることも経験した私だからこその葛藤なのかもしれない。
人付き合いをする上で感じた違和感は、決して見過ごしてはいけないものだと思う。何かを贈り、贈られ、祝い、祝われることは、私とその人と、 互いの時間と気持ちが費やされた結晶なのだから。それを大事にしたいという気持ちが本音だ。

1人でカットケーキをつつくより、誰かとホールケーキを頬張る、そんな時間を過ごしたい。
これは、対人関係について散々悩んだ末に辿り着いた、個人的な価値観に過ぎない。けれど、私と同じように思う人もいるんじゃないかと、そう思うことにした。