「お願いだから、ひっそりと温泉にいかせてくれ」

上京して3年、温泉に行くたびにこう呟いては、故郷が恋しくなる。

私の故郷は、四国の小さな町で車が主な移動手段だった。そのため、温泉にも車で行って車で悠々と帰って来られた。誰にも見られずにひっそりと。

東京は大好きだけど、東京の「温泉」だけは好きになれない

しかし、東京はどうだ。温泉に行くにも電車に乗らなければならない。温泉へ行く際、タオルや着替えやらで荷物は嵩張るし、電車に乗っていろんな人と顔を合わせなければいけない。

なにより、帰りが1番辛い。温泉でぬくぬく・ピッカピカの私は電車に乗って、スッピンを隠すためにマスクをする。そして、湯上りの無防備な自分をすれ違う色んな人に晒さなければいけない。「誰にも見られずに帰れればなぁ」いつもそう思いながら、コソコソと家路を急ぐ。「頼むから誰も私を視界に入れないでくれ。ひっそり帰らせてくれ」と願いながら。

もちろん、他人は私のことを気にして見てはいない、なんてことは理解している。しかし、お風呂上がりの自分を意図なく見られるだけでも嫌なのだ。

温泉で清められた後に、東京の混み合った電車。 東京は大好きだが、この組み合わせだけはどうしても許せない。

洗い立てのシャンプーのいい香りは、帰り道の駅の改札や車内に放たれ、少しずつ、少しずつ、私からこぼれていく。そうして家に着く頃には、ほとんど失われてしまっている。

「故郷なら、車でどこへでもいけたのになぁ」なんて思う。しかし、私は車を所有したくなくて、電車のある街を選んだのだけれど。

私の故郷は温泉だけじゃなく、人の心までもポカポカと温かいんだ

それにもう一つ、東京の温泉にがっかりすることがある。
ここでは温泉に来ている人のあたたかさも全然違うと思う。

大学生の頃に故郷の温泉でのぼせてしまったとき、脱衣所でしゃがみ込んでいると、知らないお婆さん達がわんさかやって来て、あれこれと手間を焼いてくれた。「帰るのが辛ければ、うちへ泊まっておいき。どうせ部屋は余っているんだから」と、誘ってくれる人が何人もいた。

しかし、東京のお婆さんたちは私がのぼせていると「最近の若い者は湯の入り方も知らないのかい、やだねえ」というような目をして遠巻きにこちらを眺めてくる。温泉に入ったばかりなのに、彼女らの心はまだ冷え切っているようだ。故郷の人々との差を体感した私もさっと湯冷めしてしまう。

遠くて、よそよそしくて、ぬくもりがない。

東京は大好きだけど、私の「故郷」には愛すべき人やもので溢れている

東京では、電車内でよく人にぶつかる。それなのに、乗客それぞれの心は一駅分以上離れてしまっている。距離感は一体どうなってるんだよ、東京。

それに比べ、私の田舎の故郷ではどの電車の車両も常に1両しかなかったけど、本当にそれで十分だったんだ。それでも人にはぶつかることはなかったし、みんなの心の距離だって1両の中に全て収まっていた。

東京に来る前は、1両しかない電車を恥じていた。しかし、東京にきてから振り返ると、愛すべき1両編成だったと思う。

「自分の家に泊まりにおいで」と、見ず知らずの若者に優しく声をかけてくれる温かい人がたくさんいる。いいところだったんだよな、私の故郷って。
狭い6畳の東京の部屋で、故郷を懐かしむ。

故郷の芝生は、いつまでたっても青いまま。芝の上には虹だってかかっている。