今に至るまで、振り返れば様々なことがあった。
虐待、母親の自死、PTSD、うつ病。最終学歴は中卒だし、就活は何度も失敗し、昨年には祖父が自死した。それらは、確かに悲しい出来事で25年の人生で誰もが経験する事柄ではない。波乱万丈、その一言に尽きる。

私は卑屈で「自信」がなく、褒められるほど疑ってしまう…

人に打ち明けると「よく今まで生きていてくれたね」「これから幸せなことがたくさんあるよ」と言ってもらえる。生きているだけで褒めてもらえて「生きていてくれてありがとう」とまで言ってもらえた時には、自分がとてつもなく貴重な存在かなにかと錯覚しそうになった。

人生とは、不安定な丸太の上を歩くようなものだ。自分が他と比べて、普通ではない生き方をしてきたのは気付いているけれど、そのどれもが私にとっては日常で当たり前だったから人から「大変」「頑張った」と言われても正直よくわからない。「だったら何故『助けて』と言った時に誰も振り返ってくれなかったの?」という幼い頃の疑問を投げかけるのは、今更酷だろうと飲み込んでしまうし、もう子供の頃の私のために怒るエネルギーもないので、ただ「ありがとう」と言うしかない。

私は自分のことを自分の言葉で書き記す為に、エッセイを書いていてたまたまそれを評価していただくことが叶っているが、どうにも人の褌で相撲を取っているような居心地の悪さがある。私のような経験をしたら、みんな私のような文章は書けると思ってしまうし、体験の物珍しさが目を引くだけで、文章自体はたいして面白くないのではと引け目を感じる。

とにかく卑屈で自信がなく、天邪鬼な私は認められ褒められれば褒められるほど「そんなの嘘だろう?」と思ってしまうのだ。

世間は私にひどく優しい時もあれば、容易く私を傷つける時もある

薬を飲んでいたって精神はいつも不安定なのに、私は何故か「羨ましい」と言われることがある。

会社勤めをしている知り合いに「好きなことでお金を稼げるのは羨ましい」と遠回しに言われた。それを聞いた時、確かに今好きなことをやれていて恵まれている。ありがたいと思ったものだから曖昧に肯いたのだけれど、どうにも心にとげが刺さったように台詞が残り続けた。2週間くらい経った今、ようやく私は傷ついたのだと知った。

世間は私にひどく優しい時もあれば、容易く私を傷つける時もある。その理由が分からなくて、勝手に傷ついた自分が悪いのではないかと落ち込んでしまう。通りすがりに邪魔な人間に肩を当てるみたいに、さっとなんの悪意もなく傷つく言葉を投げるから、心がぼやけた私は反応が遅れてしまって、だいたい困ったみたいに頷くことしかできない。

昔から「死ね」「殺す」「生まなきゃ良かった」というドストレートな殺傷能力の高い言葉を受けてきた身は、怖い言葉を一度考えずに受け止めるという癖が付いているのだ。傷つけられたと感じるから傷つくんだ。血を流す自分の心に気付かなければ、今まで通り動けるもの。そうやって乗り切ってきた私は、25歳になったって傷つけられることに対して鈍感だ。

苦しい時も悲しい時も…私が「自分を理解」していればいい

だからといって「抵抗しない私を狙って傷つける言葉を投げてくるのは倫理的にどうなのよ?」と冷静な私が文句を言うのだが「まぁ、クズみたいな人生送ってきたから仕方ないのかな」と自己評価の低い私が納得してしまいそのまま終わる。

私が傷ついたことは誰に知られることもなくただ少しずつ降り積もる雪のように、気持ちを重たくしていくだけだ。

自分自身を慰めるためにエッセイを書いている。苦しさで溺れそうになってしまう時も、悲しさに浸っている夜も、私が自分を理解していればそれでいい。本当の意味で、全てを過去になんかできていなくて、ずっと苦しいままだ。でも、それを今更言ったってタイムマシンで誰かが子供の私を救ってくれる訳じゃない。

大人になった私は、全部に納得したようなふりをして生きている。
ただそれだけなので、どうか私を傷つけるのはやめてください。