人間って自分にはないものに惹かれてしまう性質がある。
自分じゃできないこと、つくれないもの、言えないこと……。そういうことを発信している人は、なんだか特別に見える。
私は恋愛とか憧れの根本にあるものはコンプレックスだと考えていて、だから、私がどうしても言えない「あの一言」を繰り出せる女というのは、強いと思うし憧れている。

私がしびれるほどに憧れる、「あの一言」それは……

あの一言は何かというと、ずばり、「行かないで」。
ネットだとか、周りの友人の話を聞いていると、恋愛において「行かないで」という言葉はかなりネガティブな印象がある。
仕事に「行かないで」、あの女のところに「行かないで」、私を置いて「行かないで」……。
「行かないで」という言葉には、想い人がどうしたって「行ってしまう」、かなしい現実がある場合が多いわけだけども、だからこそ、「行かないで」と言える女は強いと思う。
一見わがままなだけに見えるこの言葉は、自分を貫くという強い意志によって成り立っているから。その点が、私はしびれるほどに憧れる理由なのだ。

「相手のために」黙ってる、なんておためごかしじゃない?

個人的な話になるんだけども、私は寂しい時だとか、別れ際だとか、どうしたって「行かないで」と言うことができない。
自分を理由に引き止めたり、相手の行動を制限したりすることに、すごく罪悪感があるから。
そういう人って、今すごく多いんじゃないだろうか。
恋愛記事なんかでは、別れ際は美しく未練がましさを出さない、とか、わがままを言わず自立した女になりなさい、とか、書いてある。
これらは、相手のことを思ってそうすべきだ、と結論づけているものが多い。
でも、実際のところ、それってどうなんだろう?
相手のこと思って言わないようにする、というのは建前で、本当のところは「自分が傷つくのが怖いから」行動に移さない、という理由も、あるんじゃないだろうか。

自分を貫くのは、苦しいことだもの。だから傷ついたって構わない

特に、「行かないで」という言葉は、往々にして、発したところで意味のない言葉だ。
想い人は私を置いて行くし、別れ際ならなんの躊躇いもなく立ち去るだろう。もうとっくに、終わってしまっていることが、多い。
傷つくに決まってるのだ。この言葉は、叶わないことがわかっていても、傷つくことを承知の上で発する、そういう言葉なのだ。
それって強さだと思う。自分を貫くというのは、苦しいことだもの。
相手を思いやりたい気持ちを押さえつけて、都合のいい女でいなきゃと囁く心の声に耳を塞いで、嫌われたくないという恐怖に打ち勝って、「行かないで」と、自分の気持ちを表すこと。
自分の傷に目もくれないで、相手と向き合おうとするその姿勢は最高にイカしてる、と私は思うわけだ。

すがることなく黙って自分の気持ちを我慢するのも、相手を気遣うことができるいいナオンかもしれない。
でも私は、自分の気持ちを伝えられる、その姿勢を貫くことができるナオンに、魅力を感じてしまう。
「行かないで」。
そう言えるナオンに、私はなりたい。