他の誰でもない!わたしは「自分のご機嫌取り」のためにメイクをする

お化粧って楽しい。なんだか違う自分に出会えるし、可愛くなったという感動がある。わたしは、自分の顔が好きだし、それが移り変わっていくのを見るのだって好きだ。あの一瞬の自惚れは、何にも代え難い、ささやかな楽しみ。
わたしは他の誰でもなく、自分のために化粧をしている。
たとえば職場に行くとき、メイクをするのは規則で決まっているからじゃなくて、自分を仕事モードに切り替えるためだ。一見同じことをしているだけなのに、理由が違うだけでモチベーションは格段に変わる。
毎日自分の顔と向き合って、丁寧にお化粧をほどこしていくのは、心を整理していくような清々しさがある。自己満足の世界だ。自分のためのお化粧なのだから、そうでしかないと思っていた。
ある日、わたしはあることに気がついた。
たとえば電車に乗っているとき、わたしは女の人の顔をついつい見てしまう。そこでとてもきれいな整った顔立ちの人や、メイクが上手な人を見ると、なんだか心の奥がザワザワとしてくるのだ。この気持ちは一体なんだろう?
それは嫉妬というよりはもっと粘着質な感情で、憧れというよりもっと暗い感情だった。
わたしは自分の顔が好きなのに、お化粧が好きなのに、どうしてこんな気持ちがわいてくるのだろう? その矛盾しているような感情の正体がわかったのは、しばらく経ってからだった。
その日もわたしは、お化粧をして電車に乗っていた。仕事が休みの日で、お気に入りの服を着ていた。
その電車の中に、一目で「いい雰囲気だな」と思わせる女の人がいた。着こなしがスマートで、パーマのかかったミディアムヘアが愛らしい。お化粧も控えめながらきちんと気が利いていて、ワインレッドのアイシャドウがよく映えていた。その女の人は、微笑みながらつり革を握っていた。
視線を移してみると、その女の人の横にはスラっと背の高い、いわゆるイケメンがいた。彼女と同じようにやさしく微笑んでいて、わたしはあのドス黒い感情に見舞われた。
「ああ、そういうことだったんだ」わたしは、即座に合点した。わたしは自分のためにお化粧をしながら、やっぱり誰かに一言「かわいい」と言われたかったのだ。そう気づいたのだった。
わたしが誰かに対して「かわいい」「すてき」と思うと同時に、わたしは「かわいい」とか言われていない現実が浮き彫りになるようで、少しさびしかったのだ。
自分で自分をかわいいと評価するのは、自己満足でだからこそ清々しいものがあるんだけれども、たまには誰かに「かわいい」と言われたい。
だから、きれいな人なんかを見ると、きっと「かわいい」とかもてはやされているのだろうなと思えて羨ましくて苦しいのだ。
でも、わたしはもう一つ気づく。そうやって考えることだって、わたしの勝手な自己満足の妄想なのだ。あんなにかわいい人だって、本当は褒めてもらっていないのかもしれない。
その日から、わたしはかわいいと思った人には、素直に「かわいいね」と口にするようになった。
かわいい人には、ちゃんとかわいいことを知ってほしいと思うようになったのだ。
心の中のドス黒い感情は、完全には消えない。でも、わたしはその感情もひっくるめて自分のものだと受け止めたいと思っている。
今日もあなたはかわいい。そして、わたしもかわいい。そうやって、日々を過ごしていくのだ。
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