タイトルに「中卒」と書くのに抵抗がもはやない。中卒と名乗るのにも、傷つくのにも慣れてきました、25歳です。それでもなけなしの見栄を張ると高校中退で、高卒認定試験に合格しているので高卒程度の資格は持っています。でも最終学歴は中卒です。中卒という言葉が世間に与えるインパクトが強いこと、強いこと。

周囲には大学に行かないという選択肢がない人が多いので、初対面で「学生時代なにされていたんですか?」と言われると詰みます。「お仕事なにされてるんですか?」でも詰むので、25歳になるまでは「生きてます」としか言えませんでした。

私にとっては、生きてる報告ができること自体が驚くべき出来事

おちょくってるつもりはなく、嘘をつくのがヘタクソで、説明しようとするとややこしいので、結局「今生きてる(ことが奇跡だからこれがめっちゃすごいことな)んだよね~」という返事しか浮かばずにいました。誤魔化すのが下手なだけです。相手もそう言われれば「そっか!」しか返せないでしょうし、昔親しかった人と連絡を取るのがなかなか難しい時代が続きました。

うつ病、PTSD、健忘、母の死、虐待を通過した私にとっては、生きてる報告ができること自体がとても驚くべき出来事なのですが、そんなこと普通の人は分かりません。なぜ生きてることが嬉しいのかと聞かれてしまえば、人の耳に入れるのも憚られる波乱万丈を聞かせねばならぬので大変苦労しました。私の一から十まで知っているのはだいたい三人いるのですが、むしろその三人はよくこんな重たい話を聞き続けてくれたなと私は毎回びっくりしています。

友人たちは私のことを忘れずに振り返ってくれる

友人には恵まれています、とても。彼女たちの人生は私が学生生活から離れても高校、大学、社会人とどんどん広がるのに、それでも私のことを忘れずに振り返ってくれるのです。

私はほとんど引きこもっていた時期もありましたから、彼女たちに「かなえちゃん」と呼ばれないと自分の名前を忘れる時期さえありました。久しぶりに呼ばれたな、私かなえちゃんだったっけ、となっていた時代、懐かしいです。学生時代は「山田」と呼ばれていたと思うのですが、いつからか名前で呼ぶようになった友人は気を遣ってくれていたのかしらとふと気づきました。いや、私は図々しいので名前で呼んでと言った可能性も否めません、むしろ元々名前で呼んでいた友人だったかも。
健忘というのは不便なもので、本当に色んなことを忘れているし、忘れていることすら忘れています。

母校の最寄駅は、初めて訪れた町にしか見えなかった

正直私は彼女たちと出会った学校に通っていた時期のことを、殆ど覚えていません。この間、友人の一人と最寄駅に降り立ったのですが、初めて訪れた町にしか見えなくて驚きました。25歳にもなったし、あの町へ足を運んでも思い出して苦しくなることはないだろうと思ったのですが、本当に、どの角度から見てもそこに来たことがあると思えなかったのです。

母校の最寄駅は他人のような顔をして私を出迎えました。友人が「この駅周り変わったよね、学校まで地図なしで行ける?」と話を振ってきた時も、「ここ、本当に私通ってたのかなぁ」なんてぼんやりした返事をしてしまいました。素敵な町でした。昔の私が見えるかと思って友人が来るまで一人でぶらぶらしたのですけれど、今の私が好きな街並みだということしか分かりませんでした。

本当は期待していたのかもしれません、中学時代の私の影が見えることを。少しの痛みとともにそれを振り返れることを。ですが実際は、なにも感じませんでした。なんとも悲しいことでしたが、「あぁ、私は病気なのだな」と、ただ静かに思いました。緩やかに傷つきましたが、それで未練が絶たれた気もしています。

普通になることをやめたら、明日を迎えるのが怖くなくなった

今は書くことが好きで、幸いにもそれが人目に触れる機会が増えてきました。普通になることをやめたら、明日を迎えるのが怖くなくなりました。私は今自分が生きていることに感謝していて、出会ってきたすべての人にありがとうを伝えたいのです。こんなこと言うと大丈夫?って言われてしまうのだけれど、ここまで来たらもう酸素にすら感謝するレベルなのよ、なんて。

これを読む誰かに、私のような人間でも生きていけてるよと伝えたいのです。案外時間が解決してくれることってあるし、そのうち生きるのは難しくなくなる時が来るから。今は分からなくてもいいから、毎日明日を迎えよう。