「女の子を産んだつもりだったのに」と、母はよく口にした。わたしは、ひらひらしたフリルやレースのついた“女の子”の服が似合わなかった。

そして、そもそも“女の子”ですらなかったわたしは、そう言われるたび胸が潰れた。

母の「女の子」になれないことが苦しいくせに、どこかで安堵している

自分の顔がとても嫌いだ。憎んでさえいる。つり上がった目と骨張ったエラのせいで、きつい印象を与えるこの顔は、母の望む“女の子”とはあまりにもかけ離れ過ぎていた。その一方で、便利だとも思う。竹宮惠子氏の『風と木の詩』に出てくるジルベール・コクトーに、15年以上憧れ続けているわたしは、“少年”のような服装を好むから。このきつい顔には、古着屋で買うメンズ服、ラルフ ローレンのスウェットやカーハートのデニムなんかが、しっくりと馴染むから。

母の“女の子”になれないことが苦しいくせに、親不孝だとも思うくせに、自分の顔が“女の子”ではなかったことにどこかで安堵している。そんな自分に反吐が出る。鏡を見るたび、自分の顔を切り刻んでめちゃくちゃにしてやりたくなる衝動に駆られる。

わたしが“女の子”でないことに、たぶん母はかなり幼いころから気づいていたのだと思う。自分が産んだはずの“女の子”の影が、わたしの中にちらりとも見えないことに、母はいつも焦っていた。焦燥感と寂寥感に衝き動かされるようにして、似合わないことを知っていながらも母はしょっちゅうわたしに“女の子”の服を買い与えた。そして、わたしの体に当てては、落胆のため息をついていた。

母もわたしも、自分の中の「女の子」を諦められなかったのだ

諦めきれなかったのだろう。欲しかったはずの“女の子”が、年を重ねるごとに“女の子”からかけ離れていくその様は、母をひどく不安にさせたのだろう。わたしはそれでも、心の中でいつも叫んでいた。「女の子じゃなくてもかわいいって言ってよ!」「少年みたいな服も似合うねって言ってよ!」「どんなあなたでも素敵だよって抱きしめてよ!」と。諦めきれなかったのは、今でも諦めきれていないのは、わたしも同じなのだ。

母に「かわいい」と言ってもらえないまま、わたしは20歳を越え、30歳まで2年を切った。“男性”になりたいんじゃない。でも、わたしの心は確実に“女性”ではない。ペニスが欲しいのではないけれど、乳房のふくらみはわたしには重すぎる。毎月生理が来るたびに、わたしは自分の心と体の剥離にどうしようもなく絶望する。

“女性”の身体から逃れられないことが辛くて悲しくて、トイレの中でしくしくと泣く。“少年”として生きられないことが、“少年”のまま母にかわいいと言ってもらえないことが、わたしをいつも死にたい気持ちにさせる。

わたしはよく、夫に訊ねる。「わたしってかわいい?」と。夫はそのたび、くりかえし「かわいいよ」と言ってくれる。だけど、わたしは満たされない。夫の「かわいい」でも誰の「かわいい」でも、だめなのだ。母の「かわいい」でなければ、意味なんかないのだ。

お母さんの思い描いた女の子じゃないけど「かわいい」って言って

お母さん、わたしは“女の子”ではないけれど、それでもわたしを「かわいい」と言ってほしかった。メンズ服のスウェットとデニムを身に纏い、髪を短く切っているわたしを、そのまま「かわいい」と抱きしめてほしかった。

“女の子”じゃなくても、ひらひらした服が似合わなくても、それでも、そのままのわたしが「かわいい」と頭を撫でてほしかった。わたしが“わたし”である限り、いつでも、永遠に、絶対に「かわいい」と目を細めて見つめてほしかった。

お母さん、今でもわたしは、あなたに「かわいい」と言ってもらえる日を、ずっと待っている。