子供達に大人がよく聞く言葉。
「大きくなったら何になりたいの?」この質問に、子供達は純粋な眼差しを向けながら無邪気に自分の夢を語る。
「学びたい」と思った時、大学に行くことを諦めるしかなかった
しかし、子供の頃からの夢を叶えられた大人が、この日本にどれぐらいいるのだろうか。中学・高校・大学と自分の進路を決めなくてはいけない、まさに“人生の岐路”に立たされたときに、あれこれ悩んで手に取った選択は、きっと間違いないではないのだろう。
でも、その選択をしておきながら、ある日自分自身の考えや、胸に抱くものが変わる場合も時としてある。私は、夢というのは自分が置かれた環境によって、変化していくものだと思っている。その時に、今の日本でまた違う選択を手にすることは、難しいのではないだろうか。
私は、高校を卒業してすぐに結婚し、子育てが始まった。学生の頃は、自分のやりたいこと・勉強したいことが不透明で、まぁなんとなく大学に行けばいいかなと思っていた。けれど子育てをしていく中で、私は日本の福祉や心理学に興味を持った。
心理学は、自分が抱えていた生きにくさを考えていくうちに勉強してみたいなと思ったのがきっかけだった。具体的に目指したい職種もあって、その職種の資格を取るためには大学を卒業しなければいけなかった。しかし、その時の私は、もうすでに2人の子供がいて、自分が大学に行けるほどの金銭は無いし、なにより子供達を預ける先も無かった私は、大学に行くことを諦めるしかなかった。
「個人の人生」が、もっと柔軟に選択出来る社会にしたい!
きっと、私のように志がありながらも、学校へ行ける環境でない母親たちが沢山いるのだろう。もったいないなと思う。もしかしたら、日本の将来のための貴重な人材が、どこかで埋まっているのかもしれないのに。それが私かもしれないけど、なんて冗談ですけどね。今でも、大学で学ぶことに憧れは持っている。
もし、私が総理大臣になれたら「個人の人生が、もっと柔軟に選択出来る社会にしたい」と考えている。
たとえば、仕事や子育てをしながらでも大学に行けるよう金銭面をサポートすることや、保育所を設立するなど、誰でも思い立ったらすぐに学ぶことが出来る環境を作りたい。今の日本は大学の授業料が高い印象があるので、無償化とまでは出来なくても生活が圧迫されないぐらいの学費に抑えて、誰もが“学びたい時に学べる”ようになることが理想だ。
コロナ禍の今では、リモート授業が主流の学校もあるのだし、私達が自由に勉強出来る環境に少しずつ近付いてきているといえるのではないだろうか。たとえ、どのようなことがあっても「学びたい」「勉強したい」という気持ちが摘まれるようなことは、決してあってはならない。それは「働きたい」という気持ちでも同じことがいえるだろう。
学ぶことは「人生」を豊かにしてくれるのに、今の日本では難しい!
学ぶことは人生を豊かにしてくれる。そして、学ぶことが出来た人達が、日本のこれからを背負っていくのではないだろうか。“教育”にお金と時間を掛けるということは、国をより良い未来に向かって育てることと同じことだと思う。そこに手を抜いてしまうことが、私はとてももったいないことだと思うのだ。
私が総理大臣だったら、すべての教育に対して金銭や時間を掛けることを惜しまず、誰もが自由で柔軟な人生の選択が出来るように後押しをしたい。それが、自分のためでもあり、未来を生きる子供達のためになることだと信じている。
誰もが生きやすい社会になるためには、どのような人生の選択をしても、また新しい選択肢を選ぶことが出来、自分らしく生きられようになることがなによりも大切だ。