芸能人の逮捕にメディアは焚きつけ、私たちも必要以上に騒ぎすぎでは

芸能人が事故や事件を起こすと大きく騒がれる。最近だと、俳優の伊藤健太郎さんが事故を起こしたことが記憶に新しい。
ひき逃げなんじゃないか、とマスコミが騒ぎ、それに煽られるように人々の間で話題になった。
また伊勢谷友介さんの大麻所持での逮捕もあった。
伊藤健太郎さん、伊勢谷友介さんが出演した『とんかつDJアゲ太郎』は現在公開中の映画であるが、主演の北村匠海さんが初日舞台挨拶で放った「正直この映画をフラットな気持ちで見てくれる人がどれだけいるのか、不安な気持ちもあります」というコメントはあまりに痛々しく悲しい。

私は芸能人の逮捕などで騒ぐメディアに少しもやもやとしてしまう。
以前は、こういった出演者の騒ぎにより、映画公開が中止になるなどもしていた。
私は、そもそも騒ぎすぎなんじゃないだろうか?と感じてしまう。
映画非公開はやりすぎた、という意見はあったが、他でもない私たちが騒ぎすぎだ、という意見は少ない気がする。
私はどうにも、そこがしっくりとこない。
メディアがそれを焚きつけるような動きをしていることにも、もやもやしてしまうのだ。

一つの事柄で人間性まで判断する構造は、いじめに似ている

事故や事件というのは、身近なことでありながら、そうではない一面も十分にある。罪になる場合も多いわけで、人間性への評価、につながってきてしまう部分も確かにある。
だけれども、その一つの事柄で人間性までもを批判しようとする姿勢が私は許せない。
ましてや、相手は赤の他人である。知っている人間ならまだしも、全く知らない、テレビ上のお仕事の姿しか知らない相手を必要以上にこき下ろしたりしてしまう部分がどうにも共感できないのだ。

なぜこんなにもやもやするのかといったら、なるほど、これはいじめの構造に似ている、と私は気づいた。
当事者がいて、その周りには大勢の傍観者がいる。傍観者は何もしないが目撃している罪がある。騒ぎ立てる罪がある。
誰にも裁く権利はないのだ。メディアを介していじめが行われているようで、私は釈然としなかったのだ。

メディアに振り回され騒いだりせず、それだけで判断しない人に

これからも芸能人は事故や事件を起こすし、そのたびにメディアは騒ぐだろう。それに呼応するように、私たちも意識のどこかをかき乱されるだろう。
しかし、私はせめて、そこで一緒になって騒がない人間でありたい。それだけで、人を判断しない人間でありたい。