私は発達障害者である。
発達障害者と言えば大抵、字が読めない事やコミュニケーションが取れないことを嘆くと思われるだろう。

更に、私はセクシャルマイノリティでもある。
そう言えば大抵、心と身体の性別の不一致や、異性愛に溢れるコンテンツを嘆くと思われるだろう。

そして私はパニック障害ですらある。
繰り返す発作への苦悩や、ヘルプマークを身に着けている事を理解されない悲しみを書き連ねることも、出来なくはない。

ついでに、私は子供嫌いだったりもする。
しかし、女性なのに、大人なのに、子供が可愛く思えないだなんておかしい、と首をかしげる人の事でわざわざ気を揉むつもりはない。

ただ、私の人生はいつも世間と真逆の方向を向いてきた。その生きづらさは先に述べたようなマイノリティなアイデンティティにも言える事だが、もっと小さな生きづらさは、身近にあると思える。

公式からネタバレ禁止令 「プレイした」とさえ言えなかった

今、身近に感じている「ふつうじゃない」悩みは、周囲で流行っているゲームにある。
そのゲームはストーリー展開に力を入れているらしい。ゲームの実況配信がコロナ禍で近年より注目されるようになった今、そのゲームはユーザーの感想でさえストーリー中盤以降のネタバレに気を付けるように言われている。実況配信は途中までしかしてはいけない、という公式ルールが敷かれたからだ。

私も流行りに乗りゲームを手に取ったものの、その難易度の高さのあまり、一度はコントローラーを投げ出した。TLに溢れるネタバレ注意を銘打った感想をクリアする事無く開き、ストーリーのおおよそを把握する。疑問に思っていた全ては晴れ、行き詰まったところまでで見てきた謎の全てに成程と頷くことで、私はクリア出来なかった無念を晴らした。

しかし、これを私は公にすることはなかった。ゲームをプレイしました、の一言さえ言えない。ただひたすら、周りがクリアしましたと喜びの声を上げるのを黙ってみている。
公式でネタバレが禁止されているコンテンツを、ネタバレを読み把握したと発言することはできない。世間はネタバレに厳しすぎると私は思う。

セトリも注目ポイントも全部把握して、確実で鮮明な体験が欲しい

私は『ネタバレをされたい女』だ。

例えば、ライブのセトリが事前に分からず、知らない曲をサプライズで歌いだされたものならそこで現実に戻ってしまう。知っている人が知っている曲をその場で歌っていることで本人確認とし、CDの中にあったものが現実であった事に感動したい。

次回予告があらすじの形を成していない嘘予告の漫画、次回の推しはどんな風に活躍してくれるのだろうか、都会に住んでいる人のフラゲ感想を見て、「○○さんが言ってたシーンってこれだな」とニマニマしたい。ネタバレなので黙ります。なんて言われた日には次の回を見る気も薄れてしまう。

何も知らない状態で新しいものを目にしたい、というネタバレ苦手派の意見も分からなくはない。そういう意見もあるんだな、程度の認識はしている。
しかし、私はネタバレされる事によって見どころや注目ポイントを先に押さえたいし、聞いた通りだった、更には聞いた以上だった! という確実で鮮明な体験が欲しいのだ。

語る側になった時も、正直包み隠さず話したい。何も知らない状態の人に、面白いところを包み隠さず話して『そんなシーンがあるなんて気になる!』と思わせたい。

「非常識」なネタバレ お願いだから弾圧しないでください

しかし、現実はそうはいかない。具体的な比率は知らないにしろ、世間はネタバレする人が非常識とされてしまう。圧倒的にネタバレをする人は悪で、なんならワンチャン、ブロックされるまである。私にとっては「楽しみを得る為に欲しい情報」を、「楽しめなくなるかもしれないから……」という理由で隠し塞がれてしまうなんて、誰も悪く無いとはいえ理不尽に感じて仕方がない。

勿論、ネタバレをワンクッション無しで垂れ流せとは言わないし、ネタバレをわざわざ踏め、とまでも言わないが、結末を知ったからと言って自分の目で観る、聞く、遊ぶ面白さは変わらない。と、私は感じている。

だから、ネタバレされたい女は、誰かのネタバレを今日も探している。