2021年、私は26歳になる。「何してるの?」と聞かれて「フリーター」と答えるには厳しい年齢だ。

私は中学卒業後、高校の校舎は一度も跨がず中退した。17歳で高卒資格を取ってからはバイトをし、大学受験に何度かチャレンジしながらも、基本的にはほぼ家から出ない生活を続けていた。

何もできない、何にもなれない人間でいる頃に慣れた22歳辺りからフリーターと名乗るのに抵抗がなくなった。学生?と聞かれていいえ、と答えるには理由が必要だったのだ。

20代そこそこの女が昼間フラフラしているのは目立つ。「フリーターなら週6で入れる?」とバイトの面接で聞かれた時には、「オイオイ、フリーターにだって週4日、5時間で働く権利はあるんだぜ」と思ったけれど何も言わずに頷いた。

私にとって大抵のアルバイト先は2ヶ月働けば息苦しい場所になる。それが分かってからは短期のアルバイトばかりを渡り歩いていた。

25歳になる前に就活もしたけれど上手くいくはずもなかった。だけれど幸いにも私は楽観的で、正社員になれなかったからと言って人生がお先真っ暗かと言われればそう感じてはいなかった。

まず遊びにも出ず、飯もろくに食わず、服もあまり持たないので意外と生活するには困っていなかった。だけれども、このままじゃいけない、というのは薄々感じていた。

地域活動、執筆、資格取得。フリーターではない肩書を求めて

25歳を機に今までやらなかったことをやるようになった。地域活動に顔を出したり、執筆をしたり、色々な資格の勉強をしたり。もう何かになれないならば好きに生きようと思ったのもあるし、今更普通の何かになれるわけがないと開き直ったのもあった。

私には沢山の肩書きが付いた。エッセイを書く人、地域で活動している人、どこどこに顔を出している人……肩書きが増えれば、社会の一員になれると思っていた。「フリーターです」と名乗らなくて済めば、気持ちが楽になると思っていた。

でも実際は、制約が増えて面倒に感じることが多かった。

私は根っからの風来坊なのだろう。令和のこの世、スタンダードが正義とされていた頃から多種多様な生き方が認められるようになったとはいえ、私ほど何者にもならない生活を好む人間もいないだろう。

人は何かに属することで安心を得るし、責任を負うことでやる気を出すからだ。

私はどれも望まない、それがなんとなく苦しかった。みんなが頑張っているのに私だけそのレールから外れてズルをしているような気がしていた。だけれどももう、御託を並べても仕方がない。

責任を持って私だけの人生を描いて、毎年新しい私になる

どのように生きるかを悩むには、私は歳を取りすぎた。

家の中に閉じこもって誰とも関わらなかった昔とは違って、毎日何かしらしていれば生きていけることを今は知っている。生きる意味なんてなくて、ただみんな毎日を暮らしているだけ、それで十分なんだと知った。

ご飯を食べて、家賃を払い、眠っては生きていけるだけのお金を稼ぐ。

2021年、私は私だけの人生を描いていく。

誰の真似でもなく、やりたいこと、やれることを手にしていきたい。「いつまでも子供みたいなこと言ってないで」とささやく堅物な私を追い出して、自分の人生に責任を持って生きていく。

私は毎年新しい私になる、それがたまらなく嬉しいことで、幸せなことだと実感しながら。歳をとるのが少し、楽しみになっている自分がいる。

制約を自分に課すのは人ではなく自分自身だったりする、自由に生きることを自分に許すことで、不安定な人生を選ぶことで楽になる私のような人間もいる。

本当の意味で自由な生き方が選べたのなら、2021年は誰にとってもそんなワクワクするような年になってほしいと思う。