彼女は日本語の難しい質問をする。「しゅっとしてるって?」「味が尖ってるって?」

「これ、MoMAで買ったんですよ。」
2018年2月、それ可愛いね。と、私が褒めると、大学卒業振りに会った後輩が言った。MoMA――ニューヨーク近代美術館。ニューヨークなんて、誰もが知っている都市だ。でも、私にとっては物語の舞台のような、遥か遠い街だ。それが、後輩が話したその瞬間、ニューヨークは《旅行先》へと生まれ変わった。
初めての海外旅行、英語が話せる訳ではなかった。大学時代は海外留学に行く友人達が羨ましかった。その分の費用を何とか捻出すれば良かったのだろうか。当時の私にその熱意も費用の分だけ何かを得られる自信もなかった。留学とは縁のなかった後輩も私と同じだと思っていた。航空券の価格を調べると、決して安くはない。けれど、遠くはない距離だった。有給を取り、2018年12月、ついに私はニューヨークに降り立った。
『ホーム・アローン2』、『プラダを着た悪魔』、『魔法にかけられて』。私が知っているその街は夢と希望が溢れる映画の世界だった。MoMA、メトロポリタン美術館、ホイットニー美術館、フリック・コレクション、4日間で4つの美術館を巡った。ジャクソン・ポロック、アンディ・ウォーホル――今の私にとっては現代アートの街になった。
「センキュー。」「ワン プリーズ。」私のつたない英語でも、簡単な意思疎通は取れた。よく見かける《自分探しの旅》という謳い文句。扇動される私達。単に自分で思い込んで盲目になっていただけなのかもしれない。
令和元年、天皇即位の10連休。美術館が沢山あるパリに行こう。そんな安直な理由と、予備校の世界史教師の言葉。「日本人ならポーランドに行った方がいい。」Googleマップのフランスからポーランドが一直線に繋がった。次の旅はヨーロッパ鉄道旅に決まった。
2019年、12日間の一人旅。色々な出会いがあった。パリではゲストハウスのスタッフにいきなりクイズを出された。「僕の出身地はどこでしょう。」「フランス?」「違うね。ヒントはEUじゃない国だよ。」彼の見た目は金髪で薄い眼の色だった。北アメリカ、オセアニアも当たらない。途方に暮れた私に答えを教えてくれた。「僕はチュニジアの生まれなんだ。」フランスの植民地支配時代、現在も第2言語として用いられるフランス語。教科書で学んだ、文字の知識が生きて目の前に現れた。
ヴェルサイユ宮殿に向かうRER(フランスの鉄道)でアメリカ人ご夫婦に流暢な日本語で話しかけられた。
「つい話しかけてしまったよ。僕と家内は20年程前に品川に住んでいてね。」
ブリュッセルではトルコ人とドイツ人の2人に記念写真を頼まれた。お礼と共に人差し指と中指を交差させ「よい旅を!」このフィンガーズ・クロスは幸運を祈る意味だと後から知った。
ベルリンのハンブルガー・バーンホーフ現代美術館、窓口の彼は私を見て、合掌と片言の日本語で挨拶してくれた。
「コンニチハ」
私の驚いた顔を見て彼は微笑み、それから簡単な英語で少し会話をした。「ドイツ語知ってる?」「グーテンタークとダンケシェーンくらいなら。」「じゃあ、教えてあげるね。これはお元気ですかって意味だよ。Wie geht es Ihnen?」
プラハでは同室の中国人の彼女に日本語で丁寧にもてなされた。「日本人?苺食べる?」「美味しい、ありがとう。…ハオチー。シエシエ。」
コロナ禍で、今は海外旅行に行けない。
WeChatに通知が来た。「早上好。下雪了。」
2020年2月、武漢のコロナウイルス報道を見て、プラハで出会った彼女にメールを送った。中国のメールアドレスにGmailは届かないかもしれない。でも、送りたかった。
それから返信が届き、今では彼女とのオンライン通話が私の日常の一部になっている。彼女は私の良い中国語の先生だ。彼女は時々私に日本語の難しい質問をする。「《しゅっとしている》ってどういう意味?」「《味が尖っている》って?」
西安では早くから雪が降っているらしい。このコロナ禍が終息したら、西安に旅行に行くことを決めた。今度は私の友人に会うために。
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