たとえどんなに男に惚れても、仕事の名字は死守せよ乙女

かがみよかがみ世代の女性たちに、過去の自分に、今振り返って伝えたいことをお届けする「あの頃の私へ」。今回は、コラムニスト・ライターの佐藤友美さんが結婚と離婚を経験して感じた「名字」を巡る違和感を綴ります。
かがみよかがみ世代の女性たちに、過去の自分に、今振り返って伝えたいことをお届けする「あの頃の私へ」。今回は、コラムニスト・ライターの佐藤友美さんが結婚と離婚を経験して感じた「名字」を巡る違和感を綴ります。
「原稿料をお支払いしたいのですが、住所を教えていただけますか?」
新規連載が始まった出版社から、連絡があった。
「佐藤友美」という名前で6人の同姓同名が登録されているから、どの佐藤友美さんにお振込すれば良いか確認したくて、という内容だった。
こういう話には慣れている。
佐藤友美の名前で仕事をするようになって7年経つが、これまでに、同姓同名と7回名刺交換した。
一番ひどいときは、私の講演の司会をしてくださったアナウンサーさんが、佐藤友美さんだったこともある。
うん、慣れている。
慣れている……
けど……
この時の連絡には、心底、がっかりした。
なぜならもう、この佐藤の名字は、私とは縁の切れたはずの名字だったからだ。
今年の春、離婚をした。
それ自体は、それほど残念な話ではない。
前年の夏から交渉してきたので、私としては、悲しいというよりも、やっと一区切りついたという感じだった。
9歳になる息子はずっと離婚に反対していて、何があっても3人で暮らしたいと主張し、最後は泣き崩れた。
でも、私たちの様子を見て、もう後戻りがきかないのだなとわかったのだろう。彼は、その後、2つだけ条件を出してきた。
1)転校はしたくない
ということと
2)これから名乗る名字は僕に決めさせてほしい
ということ、だ。
彼の父親の名字は佐藤といい、これまで彼は「佐藤息子君」の名前で世間に認識されている。
一方、私の両親の名字は安藤という。離婚をしたらママの旧姓に戻ることもできるということを、彼はどこで知ったのだろう。「『安藤息子君』の名前も悪くないよね」と、彼はさぞ迷っているかのように、私に話す。
「そうだね、どっちを選んでもいいよ」
と私は言っていたけれど、内心ひやひやしていた。
この時点で、私は、彼にまだ話していないことがひとつあった。
実は、私の両親の名字は確かに「安藤」なのだけれど、私の旧姓は「安藤」ではない。
あのね、実はね、バツ2なんだよ。ママ。
ひとつ前の夫の姓は「増田」だった。
私は、一度目の離婚をしたとき、新しく一人戸籍をつくって「増田」姓を取得することを決めた。というのも、当時の私のペンネームが「増田ゆみ」であり、その名前で何冊かの著作があったからだ。
コツコツSEO対策を重ねてきて、やっとFカップAV女優の増田ゆみさんを検索で抜くことができたタイミングだったのだ。
このときの離婚はおおむね円満離婚だった。
テレビのプロデューサーだった彼は「買ったばかりのテレビを持っていきたい」といい、私は「本棚が欲しい」といい、2匹いた犬は1匹ずつ引き取り、お互いの新居には大きすぎるクイーンサイズのベッドはバラして二人で粗大ゴミに出した。最後の共同作業。
結婚してから7年。一度も喧嘩したことのないまま別れようとしていた私たちだけれど、最後の最後、私が「増田姓を取得したい」と話したとき、元夫は、その言葉に難色を示した。
誤解のないように書いておくけれど、それまで使用していた元夫(元妻)の姓を名乗る権利は認められており、夫(妻)が嫌だといっても、そこに拒否権はない。
ただ私は、かつて彼だけのものだった名字を名乗る以上、彼の承認はとっておきたかったので話をした。
が、そこに難色を示されたのだ。
20歳近く年上の元夫にとって「名字」というのは、特別なものだったのかもしれない。
そういえば、結婚したとき、「仕事上も増田の名前で仕事をしてほしい」と、言われた。
その頃はまだ24歳だったし、結婚に浮かれポンチで、なんなら「あなた色に染まりたい」って思っていたくらいだったので「もちろんです(はあと)」と返事をして、私は公私ともに増田になった。
その弊害に気づいたのは、離婚するタイミングになって、だ。
私のようなフリーランスのキャリアは、名前のクレジットとともに、ある。名前が出るか出ないかでギャランティは全然違うし(名前が出ない仕事では、3〜10倍くらいの原稿料をもらう)、名前がすべての職種なのだ。
仕方ないので、泣き落としをした。
生まれてはじめて、嘘泣きをした。プライベートでは肝心なときに全然涙が出てこないのに、仕事だと思えば、できるもんだ。
結婚してはじめて、目の前で号泣した私に驚いたのか、元夫は、増田姓の取得を許してくれる。私は、戸籍上も「増田友美(ゆみ)」を継続できることになった。
二度目の夫である佐藤さんは、増田姓の私と出会っている。
だから、結婚して本名が佐藤になってからも「増田」のペンネームで働くことを、当然と思ってくれていた。私も当然のように、「増田」の名前のまま執筆活動を続けてきた。
ただ、あるとき事件がおきた。
当時3歳だった息子に
「ねえ、ママはどうして、お友達から『増田さん』って呼ばれているの?」
と、聞かれたのだ。
「あ、それね、ママがパパと結婚する前のお名前なんだよ」
と言ったところ、彼はさらにたたみかけてきた。
「でも、じいじとばあばの名前は、安藤だよね。どうしてママだけ、増田なの?」
と、聞いてきたのだ。
「え、あ。え? あーーーーー」
ってなった。
このときだ。息子氏の記憶が曖昧なうちに、仕事の名前を本名にしちゃおうと思ったのは。
折りしも、ファッション誌のライターから、書籍ライターに転向を決めたタイミングだった。
だから心機一転、新しい名前、というか正真正銘の本名であるところの、2人目の夫の姓で仕事を始めるのもよいかと思ったんだ。
佐藤氏は、ことのほかそれを喜んでくれた。
「あー、何も言わなかったけれど、やっぱり前の夫の名字で仕事するの、嫌だったのかな」と思った。
はい。
もうオチはついているのだけれど。
38歳の私も、浮かれポンチだったよね。
子どもも生まれたことだし、私は一生佐藤として生きていくと思った当時の自分の浅はかさを呪いたい。
2度目の離婚届の証人欄に署名してくれた弟に「あのさ、こう言うのもなんだけど、2度目って懲りない感じするよね」と言われたよね。
うん、私もそう思ったよ。
まさかさ、佐藤さんとも離婚することになるとは、ね。
そして、まさか息子が「次の名字、佐藤にしようかなー、安藤にしようかなー」とか、言い出すなんてね。
ごめん息子よ。
キミは安藤(ママの独身時代の名字)にはなれないんだよ。キミの選択肢は「佐藤(パパの名字)か、増田(ママの元夫の名字)か」の二択なんだよ。
心の中で、息子に詫びる。どうしても、安藤にしたいと言われたら、これ、家庭裁判所に申請だな、と思いながら。
幸い息子は「やっぱり、慣れてる佐藤にするわ」と言ってくれたので、私は佐藤姓を取得し、新しい戸籍を作り、そこに息子を入籍させる手続きをとって、ことなきを得た。
ことなきを得た今。
二度も「一生添い遂げます」の誓いを破ったアレを棚に上げて、声を大にして言いたい。
選択的夫婦別姓に心から賛同します。
私は今、佐藤姓を名乗っていて、知り合いはみんな佐藤さんとか、さとゆみさんとか呼んでくれる。
けれども、それはもう、自分とは関係ない人の名字なんだよな、といつもかすかに思う。
それはもちろん自業自得だとは思っているけれど、自分のアイデンティティがちょっと、欠けている感じの切なさ、だ。
もし、過去に戻れるならば、24歳の自分と、38歳の自分に伝えたい。
「どんなに惚れても、仕事の名字は明け渡すな」
だって、3分の1は、離婚する世の中なんだぜ。
息子にも、いつかいろいろ説明しなきゃいけない日がくるだろう。
そのとき私は、キミがいつか大好きな人と結婚する日がきたら、そのときはお互いにとって一番いい名前の選び方をしてね、と伝えたい。
我慢することが、「社会人」になることだと思っていた。違和感を持つ自分がおかしいんだと思っていた。だけど、年齢を重ねた今ならわかる。あの時の、私の感覚は間違っていなかった。「かがみよかがみ」世代の女性たちに、あの時の私に、今振り返って伝えたいことをお届けします。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
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