夏休みの宿題を全部やった人と出会ったことがない。
これはひと夏に限った話ではない。長い人生の中で、突然現れてはデカい顔する夏休みの宿題すべてである。
わたしは全部やれていた自負がある。夏休みの宿題が、人生を幸せにしてくれると信じていたから。

ルールやマナーを守れば守るほど、理想に近づくと信じていた

わたしは校則を守れる。黒髪のまま、眉は剃らない。スカートは膝丈。化粧もしないし、ピアス穴も空けない。無遅刻・無欠席が当たり前。職員室へ入るときは少しだけ精神年齢高いし、人一倍誰かに褒められたがっていた。
今でもお薬手帳は忘れず持って行く。鍵や財布は人生レベルで失くしたことがない。2時間飲み放題は先に徴収するし、初めて行くお店の場所までの下見だってできる。

ルールやマナーを守れば守るほど、理想に近づくと信じていた。だって、みんながそう言うから。校則は守っておいた方が良い。進学はしといた方が良い。親と友達は大事にした方が良い。行儀は良くしていた方が良い。年末年始は実家に帰る方が良い。
そしたらみんなが知っている大学に進み、名前だけ聞いたことある会社に就職して、阿佐ヶ谷に一人暮らししている彼氏の家から一緒に出勤する日々の向こうに、結婚があると知った気になっていた。みんなが言う普通が、わたしの理想だった。

それに、大抵のルールは“守れてしまえる”。髪の毛は染めなければいい。眉は整えなければいい。足に自信ないのだから、スカート丈詰めることに命かけなくていい。だから結果的に校則を“守れてしまえる”。

だからこそ、それだけでは幸せになれないことを、思春期になってようやく気付き始めた。
学力が明らかに落ちてきた高校3年生のとき、進路は学力テストのない指定校推薦を選んだ。「やりたいこと」があるという“それっぽい”理由で学力を補い、補っていたことを忘れたまま進学。たしかに「やりたいこと」とやらをやれている実感はあったけれど、本当にただ「やりたいこと」をやっただけの大学生活だった。

わたしの理想の先輩が、まさか。夏休みの宿題を諦めていたなんて

バイトはしていないし、薄い付き合いしかできない。人間性を育てぬまま迎えた就活では、言われた通りにやってきただけの人間など、多くの採用担当者の目には映えなかった。そんな透明人間でも社会人になり、就職した会社で出会った先輩に「夏休みの宿題は8月の終わりに慌ててやってて……」と話したら
「夏休みの宿題、全部やったことない」
と言われて気を失うかと思った。

先輩はわたしの理想だった。人間性はさっぱりしていて、頼られる仕事ぶりで、わたしを否定せず受け止め、大学生の頃から付き合っていた彼氏と入籍し、少し太ったからとランチの誘いを断れる、そんな素敵で最高で世界一幸せになってほしい先輩が、夏休みの宿題を諦めていたことにショックを受けた。
先輩に幻滅したのではない。これまでの自分が、あまりにも不憫だと感じたのだ。夏休みの宿題をやっていれば、決められたルールを守れていれば、先輩のような人間になれると思っていたから。

「やらない」を選んだ人の方が輝いて見えるなんて、あまりにも残酷で

それから魅力的な人に出会う度「夏休みの宿題を全部やってきたか」と尋ねている。今のところ、わたしと同じ回答をした人はいない。

夏休みの宿題をやらない人は、実は「やらない」という意思決定をしている。一方で、わたしは何も疑問を抱くことなく取り掛かれる。だって、それが正しいのでしょう。やれと言うからやっているのに、「やらない」を選んだ人の方が輝いて見えるなんて、あまりにも残酷だった。

彼らはやろうと思ってできなかったのではなく、そもそも「やらない」という選択をしてきたのだから背負っているエンジンが違う。夏休みの宿題をやらないデメリットを考えたくないから、わたしはやらない勇気が持てなかった。だからやるしかない。そこに自分の考えや思想や目的はなく、メリットすら考えないまま、ただ惰性的に夏休みの宿題を完遂し続けてしまっていた。

夏休みの宿題をやることがいけないのではない。夏休みの宿題は、人生の責任を取ってはくれないのだ。