「普通」とはなんなのだろう。「普通じゃない」と言われ続けてきた私。それでも私は自分を「普通」の範疇にいる人間だと思っている。

お金が足りなかった小学生時代。お金で友情を深める構図に乗りたくて

「普通」を前に足掻いた最初の記憶は小学4年生の頃である。児童館での遊びが、ウィンドウショッピングでの買い食いやプリクラ撮影に移行した時期で、「いかにプリクラを集められるか」がステータスになった。

私はこのライフスタイルについていけなかった。高学年になりようやくお小遣い1,000円を数ヶ月に1回もらえるようになったからだ。みんなに合わせるために匂い付き文具やプロフィール帳を買うので精一杯で、遊び代まで捻出できずにいた。友達たちは親に買ってもらっているらしい。金銭事情に圧倒的な格差があった。

小学生は残酷だ。外での遊びが友情を深める。「お金のかからない遊びをしよう」という発想に至らないから、お金はその手段に直結している。そう感じて母にお小遣い交渉の直談判をした。しかし、子どもにお金を持たせることに厳しい目を持っていた母は頷くことがなかった。

だから今度は、母のパソコンを借りてお金を生み出せないかと考えた。ポイントサイトやタスク報酬、ブログなど、お金を得る手段はたくさんある。わずかながら小4で収益化に成功し、小6で十分な小遣い稼ぎを達成。「お金=友情」の構図に乗ることができた。

この生活は中学生や高校生になっても続いた。ハンドメイド作品を売ったり、ニーズに合わずセールになっている商品を仕入れて、フリマアプリで定価以下で売って利益を生み出したりした。LINEスタンプのクリエイター作品が話題になると、「これは来るぞ」とクリエイターになった。その時々の流行りに乗って、流動的にお金稼ぎをしていたと思う。そんな中でも、一貫して書類作成やWEBライターなど書く仕事は続けていた。

母子家庭だからと、良い労働を得る大学への進学を諦めたくなかった

高校2年生のとき、両親が離婚した。大学受験を目前にして、高校を卒業して労働をするか、自分で学費や雑費を払って大学に行くかの2択に迫られた。親権を取った母は、すぐに家にお金を入れて欲しい気持ちと、大学に行って欲しい気持ちがないまぜになっていたのではないかと思う。

しかし、高卒と大卒では圧倒的に給料や就職の選択肢が違う。母子家庭にあると指摘されている「負の連鎖」にはまる恐怖があった私にとっては、どんなに苦しい道でも大学に行くという選択肢しかなかった。でも、大学へ行く道があるだけ、とても恵まれていたのかもしれない。

良い労働環境を得るための大学という位置付けだったから、それは必死で勉強や就活をした。大学1年から大手出版社にプロジェクトで入り、その傍らで懸賞金目当てに論文を応募し優秀賞を受賞。大学2年からはテレビ局と大手同人誌の会社へ。この年も懸賞論文に応募して優秀賞を受賞した。

成績優秀の奨学金や懸賞論文の実績で得た奨学金など、給付型のものも積極的に活用した。学費を援助する団体に、「そうまでしてなぜ大学へ通うのか、働けばいいじゃないか」と酷く強い口調で言葉を浴びせられ、悔しくて泣いてしまったこともある。

新卒フリーランスとして生きることを決めた

文筆系で生きて行く軸は決まっていたから、学費を確実に稼ぐためにバイトを計算して入れつつ、クラウドソーシングを続けていた。大学3年生からは、フリーランスを第一志望として、就活の選択肢も残してベンチャー企業を中心にアポを取って回った。就活セミナーやイベントなど、就活に使えるものには軒並み応募した。8月には、初めて自分の名義で書籍を1から作り上げた。

大学4年生の頃にはフリーランスで生きるという軸が固まっていた。大学のうちに得られる資格と知識を吸収するために、大学4年生になっても学校へ通い詰め、卒業論文と文筆業を並行させた上で、卒業要件は132単位だったにもかかわらず、320単位強を取得して卒業した。

卒業目前の2月には、直接契約を取るために2箇所へ営業をかけた。クラウドソーシング以外に提示できる実績がなかった私だが、最初に連絡を取った会社は、努力を買って採用してくれた。「インターン生ではなく、フリーとしてやって行くんだね?」と何度も確認された。それだけでなく、半ば体当たりで行った大手出版社でも契約を得ることができた。

卒業の頃には直接契約で生計が立つくらいの収入を得ていた。ここから、新卒フリーランスとしての活動が始まった。今では、固定費を浮かせるために家を購入し、15媒体以上と直接契約を結んでいる。

「普通」と言われる人たちができないことは何1つしていなかった

思うに、「普通」なんてものは存在しない。普通と言われている人の特徴を挙げていき、全て当てはまる人を探したら、ごく少数しか見つからないだろう。その時々に変わった言動を取れば、「普通じゃない」と言われることがあるかもしれない。しかし、それは個性だったり、普通じゃないと言われる行動を取ってまで成し得たい動機が存在していたりするのだろう。目的のために犠牲を払っていることだってあるかもしれない。

私はずっと、「普通じゃない」と言われてきた。そうは言われても、努力をしてきたと自負している一方で、「普通」と言われる人たちができないことは何1つしていなかったと思う。だから私はまだ、「普通」を超えていないのではないか。「普通」なんてものは存在しないかもしれないけれど、いつか、誰にもできない何かを見つけたい。まだ24歳だ。可能性に満ちている。