「昨日は月が綺麗でしたね」
「今日は流星群が流れるらしいですよ」
空の見方がわからない私は、未だになんと答えていいか分からないでいる。
自分が空を見ない人間だと気づいたのは最近だ、というより他人が私の想像以上に空を見ていることを知った。

みんなは上を見ているから、上が空なんだと思った

私は自分より大きなものを見るのが苦手だ。映画館のスクリーン、美術館の絵、舞台、演劇。"自分の視界"と私は思っているが、まっすぐ前を向いている時に視野に入る部分が私の理解できる範囲だ。その外まであるものは基本的に見方がわからない。
テレビ画面やパソコン、スマートフォンのモニターなら途端に捉えやすくなるのは、画面の端から端まで全て視界に収まるからだ。舞台や演劇は役者を追っているうちに他の役者が反対側で動くので話の流れが分からない。映画館のスクリーンは真ん中しか見られなくて分からない。

そんな風だから昔から空よりも地面を見ることが多かった。地面は見下ろせばそこが全てだ。
砂を掘ったり蟻の行列に土を詰めるのが好きな保育園児で、「かなえちゃん、お空きれいだね」と言われても、お空のなにを見ればいいのか分からなかった。空、というのが指す範囲が広すぎる。太陽も、雲も、ビルも、家の屋根も、全部空だ。空のなにがきれいなのか分からなかったが、みんなは上を見ているから、上が空なんだと思った。

空や景色の美しさがわからない分、無性に胸がきゅんとした

絵を描く時には形通り書いた。画用紙の左の上に太陽、空は水色でもくもくしている雲は白。だけどそんな空見たことない、私が見上げる空はいつだって青いだけで、太陽は丸くないし、オレンジでもない。よく分からないけれどそういうものらしいからそう描いている。
絵を描いて心理状態を図るテストを受けた時には「自分にも他人にも攻撃している」と言われたが、形通りに描いた絵でそんなことが分かるなんて凄いと思った。

近頃、星や月の話をよくする人と友人になった。メッセージの最初に「昨日は月がきれいでしたね」と書いてあるのを読んで、好きなアイドルもブログに「ブルームーンを見たよ」と書いていたのを思い出した。

羨ましかった。私の好きなアイドルと同じものを見て、綺麗だと思える彼女の感性がとても素敵だと思った。
私はやはり「自分は月の見方が分からない」だなんて変なことは言えないから「あなたのその感性が素敵だ」と伝えたように思う。

彼女が空や景色の写真を撮っていると聞いて、自分はそういうものの美しさが分からないからこそ、無性に胸がきゅんとした。私が美しいと感じられないもの、見方がよく分からないものを見つけて、写真に収めて日常を過ごしている人と話をするのはとても楽しかった。
私が見過ごしているいろんなことを彼女は大切にしていて、いつも新しい魅力を教えてくれる。きっと相手はそんなこと思いもよらないんだろうなと考えればなおさら面白かった。

私には他の人が見えていないものが見えているかもしれない

私は自分が人とは違うことを知っている。同じ人間は二人といないから誰だってそうだけれど、特に私は変わっているんだと思う。
だけれども、それで不都合は感じない。違うものを見て、美しいと感じたことを教えてくれる友人がいるから問題ないのだ。
分からないことへの焦りや恐怖はない、分かる人に聞けばいいのだから。

だが、寂しいと思うことはある。友人や好きなアイドルと同じ気持ちで月が見れたら、と悔しくなることはある。
けれど、恐らく私にしか見えていないものだってあるのだ。それが何かは分からないが人それぞれ違うし、私のように物の見方が分からないという摩訶不思議な人間だっているのだから私には他の人が見えていないものが見えているかもしれない。

視界を共有することは叶わないから悪魔の証明だけれど、人と同じじゃなくたっていいのだ。私にできることは、人が伝えてくれる世界を見て考えることだ。考えて、理解しようとして、心の中にしまうこと。
そうしてこれからも生きていければ、いつか、月が綺麗の意味が分かるかもしれないと思っている。