ピーマンは苦いから苦手、にんじんのグラッセはおかずなのに甘いから苦手。お蕎麦とカレーは噛まなくて良いから好き。子供の頃の私はどうにも食への関心が薄かった。

頑張らなくてはできないことだった食事が最近、豊かで楽しいものに

甘い、苦い、しょっぱい、酸っぱい、それ以上の風味など感じることができず、なんとなく食事に対して苦手意識があった。出されたものは残さずに食べ、嫌い、まずいと言うことこそなかったけれど、食事は私にとって美味しくない、楽しくない、ただエネルギーを得るためだけの時間でしかなかった。
胃が小さく、標準より痩せている子供だったこともあり周囲の大人から沢山食べなさい、と言われることもプレッシャーになっていたのだろう。食事はせねばならぬもので、頑張らなくてはできないことだった。

楽しいと思えるようになったのはごく最近だ。
旬の物は美味しい、野菜の甘みを感じる、テレビでそんな食レポを聞くたびに首を捻っていたのが、歳を重ねるごとによく分かるようになってきた。砂糖の甘さではない野菜本来の甘み、風味、食感、香り。食事は五感で楽しむものだと知ってからは格段に面白くなった。同じかぶでも焼いたのと似たのでは歯を通した時の柔らかさが違うし、鼻に抜ける香りも違う。子供の頃はただ味のない白い野菜として消化していたものがこんなに豊かな味わいだったのかと気づいた時、しみじみと料理の豊かさを感じた。

素材本来の味が分かるようになったのは大人になって余裕ができたからかもしれない。自分で食材を買ったり料理を作ったりすることが増え、作る過程の細やかさを知った。成長期の頃のように食べる事を強制されることもなく、大人になってからは食べない自由を手に入れた。面倒くさかったら1食くらい食べなくても誰にも叱られない。プレッシャーから開放されれば自然と美味しいと思える食事を自分で探せるようになった。

食事が楽しくないというと不思議そうな顔をされるし、何故?と聞かれることが多くて困っていたけれど、今まで上手く味わえなかったのは私が子供だったからかもしれない。自分は舌が貧しいから美味しいものが分からないのだと思っていた。食事を楽しめる人のように豊かな感性がなく、自分以外の人は食事を取ることが嫌で仕方なくなることなんてないのだと、誰にも聞けずに人との違いに落ち込むこともあった。誰でも本来は味わうことはできるのに、気持ちの余裕や環境、年齢などでそれが実感できるようになるタイミングが違うだけだと感じるようになった今は、随分気持ちが楽になった。

自分のためにゆっくり探してみたら、合うものがきっと見つかる

かつての私のように食事が楽しくない人は自分のために食べる物を選んでみてほしい。好きな食感、塩加減、色合い、そういうものを自分のためにゆっくり探してみてほしい。普段食べないジャンルのものをあえて選ぶのも良いかもしれない。ジャンクフードが好きなら味の薄い和食を、肉が好きなら魚を。食事というのは思っていたより幅が広く、美味しい、面白いと思えるものがこの世に必ずあるはずだ。

食事が楽しくないというのはもったいないし、なにより虚しい。流行りのお店も美味しいと噂のものも、興味が湧かないのはなんとなく損をしている気分になる。だが、焦らずにのんびりと探していけば自分の味覚に合うものが見つかるはずだと、私は信じたい。

頂き物の野菜を触りながら、いつもこんな物を食べていたんだなと改めて実感すれば、今までどれだけ食事をないがしろにしていたか分かって、不思議な気持ちになった。

私にとって食事は一日3回、食べなければならないと決められているものだった。お腹が空けば何か胃に詰めなくてはならないし、若い頃は燃費が悪く、なんでもいいからカロリーの高い物を詰め込むことが多かった。今は一日3回、365日の楽しみを手に入れた気分だ。

食事を美味しく楽しめるようになった今、一回一回を大事にしようと思うし、無駄なものを食べなくなったから健康的にもなった。五感を働かせて食を楽しむ、当たり前のことかもしれないけれど疎かになってしまいがちなことに、丁寧に向き合っていきたい。