読んでくれる喜びを直に感じられる。小さなコンテストに応募するわけ

私にはそこそこの才能しかない。2020年はエッセイ、川柳、俳句のいくつかのコンテストで賞をいただいたが最優秀賞はひとつだけ、後は全部二番手だ。
数多くのコンテストに作品を出したが、感覚としては全国から300作品程集まるコンテストなら一番を取れるが、2000作品の規模だと優秀賞しか取れない。私はそれでもコンテストに応募するのが好きだ、別に一番を取りたいわけではないから。
みっともないから言いたくないが、実は本気で書いた作品ほどコンテストに落ちている。大体の作品はいつなにに出したか忘れた頃に結果が来るが、あれはどうなっただろう……と結果を待ってソワソワしながら確認するものほど掠りもしていない。自分にはそこそこの才能しかないのだとしみじみ実感した一年だった。それでも優秀賞をいただけるのはありがたい。忘れた頃に副賞やトロフィー、賞状や賞金が届くと過去の自分から思わぬプレゼントが届いたようでワクワクする。自分の作品の何が評価されたのかは分からないが、誰かの琴線に触れる作品が生み出せたのは単純に嬉しい。
世界中の人をアッと言わせるようなものが生み出せなくても、作品を読んだ誰かに「いいな」と思わせることができたなら上々だ。私は天才ではないし、そこそこ文章が書ける凡人だ。だからこそ書き続けるためには自分にはまだ可能性があると信じ続けなければいけない。
誰からも評価されない状態で自分にはまだ伸びしろがあると信じることは難しい。大きな賞には才能のある人が沢山作品を出しているから私の作品はコメントすらもらえないことが増える。わざわざそんな苦しい思いはしたくない。せっかく書いたものなら誰かに見てほしいし、いいねと言われたい。だから私は比較的規模の小さなコンテストにばかり応募している。大規模なコンテストより目に留めてもらえる確率が格段に上がるからだ。それに、小さなコンテストは開催する側も手探りなことが多く、応募する側に寄り添ってくれる。メールで応募したらすぐに感想が返ってくることもある。人が読んでくれている喜びを直に感じることができるのは書き続ける上でとても大きなモチベーションになる。
25歳もあと4ヶ月で終わる。自分は天才だ、誰にも書けないものが書けるはずだと情熱を燃やすには歳を取りすぎた。誰にも評価されない、私はなんの取り柄もないと思うには大人になりすぎた。そこそこの才能があるらしいということは分かるけど、それだけじゃ飯は食っていけないし、この先もそれが通じるかは分からない。だから私は書き続けて、新しい分野を開拓していくしかない。この先もずっと文章や作品を生み出したいなら、作り続けることをやめてはならない。
孤独だなと思うし、誰にも求められてないのに何故こんなことをするのだろうと自分にむしゃくしゃすることもある。でも、書くことが好きだから出来る限り続けたいのだ。
「本を出したいの?」とよく聞かれる。そりゃ自分の作品が本になれば嬉しいとは思うけど、あまり現実的ではないことは分かっているし、単純に本を出したいなら自費出版でもできる。私は人に作品を読まれたい。誰かの心を動かせるものを作り続けたい。その為には評価されることが必要だ、独りよがりにはなりたくない。だからこれからもコンテストに応募し続ける。気合を込めたコンテストには落ちて、落ち込んで、何がいけなかったんだろうと悩んで、悔しいから新しいものを書く。その過程でたまに受賞することができるのはとても幸いなことだと思う。
そこそこの凡人だけど、生きやすい道を選びたい。作品のつくり手として評価されない未熟さばかりに苦悩するのはもったいないし、楽しくない。私は自分にご褒美を与えながらこれからも書き続ける。この先にさらに魅力的な作品を作り上げたいから、その為には頑張るしかないのだ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。