私は所々昔の記憶がないようだ。自分ではあまり気にしたことがなかったが、記憶と記憶の間がすっぽり抜けていたり、資料を見ないと何をしていたのか分からないことが多すぎて困るので、自分は人より記憶がないのだと嫌でも知ることになった。

怒った母に「遊びに連れて行く甲斐がないの」と言われて

初めて「記憶力が悪いね」と言われたのは小学生くらいの頃だったと思う。記憶はないが、その時見た景色は浮かぶ。祖父母の家に親戚が全員集まっていたから年末年始だったのだろうか。従姉妹が2歳の時にハワイに行った記憶があると言って祖父母や叔母夫婦から可愛がられていた。私は心底不思議だった。そんなに昔の記憶があるなんて、どういうことだろう?私の従姉妹は特別賢い子供なんだろうか、すごいなと思っていた。そのうち私にも話が回ってきて「そんな昔のことは覚えていない」と答えると母はたいそう怒っていた。「かなえは遊びに連れて行く甲斐がないの、すぐ忘れるから」。そんなことを言っていた気がする。

私の記憶力が悪いというのに確かに間違いはないが、従姉妹の記憶力が特別凄いというのではないかと思っていた。私は普通で従姉妹がすごいのだと。母が死んでから、恐らく私は一般的にも記憶力が悪いのだと思い始めた。

私は困っていた。なぜ大人がそんな当たり前のことを聞くのかが

私が15歳の時、母が自死した。15歳の時だから10年前だ。しきりに自分の年齢を言うのは忘れないためだったが、特にそのことを誰かに言ったことはないような気がする。中学3三年生の冬だったから、4月生まれの私は15歳で、私を30歳の時に産んだ母は45歳だった、はずだ。5歳年上の姉は20歳だった、はずだ。私は中学2年生の冬だったような気がしているのだが、3年生の時の学校行事に出ている写真は出てくるから、3年生の冬だったのだろう。多分私は母が亡くなってから一度も学校へ行かずに辞めた、はずだから。

色々な大人に、色々なことを聞かれるたびにとても困っていた。「それはいつのこと?」「最近はどう?」。知らないよ。いつの話だったかって、昔の話。最近ってなに?昨日はなにしてたかって?覚えてないよ、24時間も前のことなんて。何度でも言うが、私は困っていた。なぜ大人がそんな当たり前のことを聞くのかが分からなかった。

私は一週間前のことは覚えていない。さっきまでなにをしていたかと、ふと気づいたら立ちすくんでいることだってある。両手に持っているものや、外の景色を見て時間を判断して、自分が何かをしている最中だったのかを想像するけれどどうせ大したことはしていないのでそのうち考えることをやめた。私の記憶は長くもたないし、忘れっぽい。きっと病名はあるのだろう、精神的ストレスとか、幼少期の虐待によるトラウマだとか、そんな大層な理由だって十分にあるだろう。でも、だからなんだと言うのか。病名がついたからって忘れっぽいのが治るわけじゃない。精神科への通院はもう10年目に突入しているのだから。

書いた記憶がないから、いつだって自分の文章は他人のもののよう

私は、私の考えたことを知るために文章を書いている。昔からずっと、私のために書いている。iPhoneのメモ帳には沢山のメモが残されているが、いつ書いたものなのかはよく分からない。読んでもこんなことを考えていたのかと、首を捻ることもある。かがみよかがみへ出した記事だって、読み返せば感心するくらいよく書けているなと思ったり、こりゃひどい詭弁だと鼻で笑うこともある、書いた記憶がないからいつだって自分の文章は他人のもののようだ。

誰かのために何かを書ける人間が不思議だった。なぜ自分の感じたことを人に伝えたいと思うのかよく分からなかった。書けば書くほど、なにをしたいのか分からなくなっていった。私は自分が生きていた証を残したい、だから書いている。言葉にすればなんてチープでドラマチックだろう、私は物語のヒロインではないのに。だけれども、書かなければいけない。私は忘れてしまうから。