年末が嫌いだ、また無駄に一年生き延びてしまったと思う。
年越しというのは世間一般ではめでたいらしく、12月に入れば街は浮き足立ち、テレビを付けても街を歩いても賑やかでハッピーな雰囲気で溢れている。

私は物心ついた時から、12月から1月までの年末年始が死ぬほど嫌いな子供だった。
子供の頃、サンタさんに手紙を書き忘れて「あんた今年サンタさん来なくていいの?なに買うか迷うから早く手紙書いて!」と言われてサンタなどいないと知った年から、クリスマスは嫌いだ。

嫌いなショートケーキを食べさせられる、ママの機嫌が悪くなる日。好きでもないクリスマスツリーと大きな靴下の飾り付けをして、無理やり捻り出したプレゼントを待ち、毎年同じクリスマスケーキを食べる日。一度24日と25日を間違えて「ママ、プレゼントは?」と聞いて「明日!!!」と怒られてから、未だにプレゼントを貰うのは何日の夜なのか分からないでいる。

クリスマスが過ぎれば大掃除、大掃除が終われば年越し。年越しが終われば親族で集まって、また母の機嫌は悪くなる。会ったことがない親戚がくれたらしいお年玉は母のポケットマネーとなり、特に良い思いをしたことはない。
元々良いイメージなどなかったのに、12月に母が自死してからはさらにこの季節が嫌いになった。寒くて人が死ぬ、年末年始は最悪の時期だ。

「寄付」は私が編み出した生きのびる術

大人になってからは、年を越すまで生きているのが苦痛で仕方なくて、とにかくアルバイトを入れて気を紛らわせていた。就職して年末から三ヶ日過ぎまで働いて、その後の繁忙期で倒れ入院を余儀なくされてからはその逃避の仕方は諦めた。
否が応でも12ヶ月経てば年末は来る、毎年死にたくなっていたんじゃキリがない。
そうして編み出した生き延びる術が、寄付だった。

死にたいという気持ちがピークになって、どうにも逃げ場がない時には、私は自分なりの大金を寄付する。どうせ死ぬならお金なんて持っていても仕方ないからだ。
被災した地域、応援したい団体、明日から自分が生きるために使うはずだったお金を渡すならどこが良いか考える。
やけくそになっているはずなのに、私は来年の確定申告の時に寄付控除が受けられる団体を探していたりするから、生きる気満々な自分に気づいて馬鹿馬鹿しくなったりする。

ここだ、ここがいい、と思うものを見つけたら、その団体や地域がなにをしているかを調べる。そうすると、世の中にはこんなふうに生きている人がいて、支援を必要としていて、私がやけっぱちになって、死にたい思いを込めていくらか託したお金でも、有意義に使ってもらえるなら本望だと少しだけ気持ちが楽になる。
お金は全てではないが、お金で伝えられる気持ちはあるし、あって困る物ではない。

正直大した金額ではないが私にとっては自傷行為を再開するか、寄付をするかの二択なのだから真剣に寄付先を考える。
大抵の場合、その段階で死にたいという気持ちは消えて私も頑張るか、となるからお金を使うことはない。

だが昨年は寄付をした。気持ちばかりだがお金を託したのだから、誰かの役には立っただろう。まだもう少し生きていでも許されるかもしれない、そう思って年を越すことができた。

さて、年を越した後、私を待っているのはクレジットカードの請求だ。

引き落としに備えて口座にいつもより多めの金を用意しておかなければならないので、死にたがっている暇などない。一月はそうして過ぎていく。
私の寄付は自分が生きるための行為であり、死なない為のストッパーである。
それでもお金は巡り巡って誰かのためになるのだから、悪いことではないだろう。