20代も後半に差し掛かり、友人たちの結婚報告や出産報告を目にすることが増えてきた。調べてみると、第一次結婚ラッシュというやつらしい。自然と、結婚について考える時間が増えた。
SNSに投稿される報告写真で一様に幸せそうに笑う笑顔は眩しくて、最近ようやく社会人として歩みだした私はなんとも言えない気持ちが沸き起こる。最近、そんな自分に戸惑っている。

結婚を意識して動いている友人たちの話が、別世界のことのようだった

「結婚したいと思ってから行動してたら、その頃にはもう(女として)商品価値がないのよ」
これは就職すると同時に早々に結婚相談所のアプリを入れ、見事結婚を見据えた彼氏をゲットした友人の言である。「なかなかなパワーワードだなぁ」と聞いたときは思わず心の中で呆気にとられてしまったものだ。
当時、先に就職していた友人たちに対し、まだ学生で特に結婚願望もなかった私は「そういうものなのか」と思っていたけれど、隣にいた友人は「なるほど」といたく感心したあと神妙な面持ちで、「25になっても彼氏がいなかったら、結婚相談所に入ろうと思ってるの」と打ち明けた。驚いているのは私だけで、「ああ、実は私も」という声が多かった。
ただただ衝撃だった。
なんだか別世界の話のようで、それより薄暗い居酒屋の中でビール片手に目をギラつかせながら語る彼女たちがやけに印象的で、どこか他人事のようにその光景を眺めていたのを覚えている。

ほんの1年前、学生だった頃には結婚なんか全く羨ましくなかった。いつかパートナーが出来たらいいなと思うくらい。
もちろん、年齢による身体的な問題はあるし、そこには個人差もあるから、検査だけは受けとこうとかそういうことは考えていたけれど。
結婚して、出産をする友人を見て、「幸せそうだな」「すごいな」と思うことはあっても、たぶんここまで焦ることなんてなかったし、ましてや動揺なんてすることはなかった。
「幸せ」のあり方なんて人それぞれで、選択肢はたくさんあるはずなのに、たった1年でなんだか大きく変わってしまった気がする。

「女の幸せ」に、私もとらわれているようになったかもしれない

私が働いている業界が、まだ圧倒的に男性社会だからかもしれない。入社早々上司に聞かれたのは、「結婚した後も仕事は続ける?」だった。
見渡せば女性社員の多くは事務職で、30も半ばを超えた社員はほんの一握り。女という理由でさせて貰えない仕事もある。
気が付いたら、「就職して、結婚して、子どもを産んで、子育てをして、仕事も両立して」といういわゆる一般的な「女の幸せ」といわれる形にハマれそうにない自分に微かな不安を覚えるようになり、それに正しくハマった友人を羨ましく思うようになった。ふとそんな自分に気づいてしまったとき、恐ろしくて仕方なかった。環境って怖い。

もしかしたら私の友人たちもそうなのかもしれない。
「幸せ」のあり方なんて人それぞれだ。でもまだやっぱりいわゆる「女の幸せ」を押しつけてくる人は多いし、たぶん私もまだ無意識に囚われている。

私はまだ「子ども」なのかもしれないけど、夢を見ていたい

ちなみに件の夜、彼氏がいない理由を「忙しいから」と答えた私を「そんなの言い訳だ」と一刀両断し、「時間なんて作ろうと思えば作れるでしょ」とコンコンと説教をした子は彼氏にフラれたし、「商品価値」発言をした彼女は最近グループラインで誰かの誕生日が祝われるたびに、「いい女になってね」と少し上から目線に言うようになった。
そんな彼女たちの変化に私は心の中で毒づいてしまうし、私はそんな自分が嫌いじゃない。少し早く社会に出た彼女たちから見たら私は子どもなのかもしれないけれど、まだまだ「恋」にも「愛」にも、そして「誰かと人生を共にするということ」にも夢を見ていたいらしい。

不安になったら深呼吸をして、温かい飲み物を飲んで一息ついて。
今日も私は私らしく生きていく。