昨年、私は結婚式を挙げた。

軽井沢の静かな教会で、紅葉麗しい空の下。
何よりも、しあわせで、かけがえのない時間を過ごした。

27歳の10月に、結婚式を挙げたかった。それが私のしあわせだった

コロナで開催すら迷った。

こんなときに結婚式を呼ぶことはゲストを困らせるかもしれないし、高齢の親族の参加見送りはもちろん、参列者の決定も、ギリギリまで決まらなかった。

当日のゲストのキャンセルも考え、コロナ対策だって、情報を調べまくった。

Instagramで同じ時期の花嫁アカウントをフォローしては、一喜一憂、情報錯綜の毎日で、何度となく夫と話し合い、折れそうになりながらも、ようやく決行した挙式だった。

「誰のために結婚式を行うのか」
最終的にそこに行き着き、私が出した結論は、「私のために」だった。
だから、決行した。

一体どこまでわがままなのか、我ながら突き詰めて笑えたが、どう考えたって、それ以外はない。

夫と2人でもいい。
私は1年後でもなく、2年後でもなく、27歳の10月に、結婚式を挙げたかった。 
理屈はなく、それが私のしあわせだった。

私が愛を伝えることで私がしあわせになるのだ

当日は雲ひとつない突き抜けるような青空で、申し分のないハレノヒだった。
「しあわせになってね」
「末長くしあわせにね」

涙を流して、言ってくれる家族や友人がいることを、私がしあわせになることを願う人がいることを、思い知った。

そして、そんなあたたかい気持ちに包まれると、人はこんなにも涙が溢れるのだと。

しあわせにならなきゃいけないと意気込むのもちょっと違う気がするけれど、それでも私はしあわせにならないといけない。

それは私にとって、夫に「おはよう」と言うことや「ありがとう」と伝えること。
離れて暮らす両親に「元気にしてる?」と電話すること。
なかなか会えない友人に「誕生日おめでとう」とLINEすることかも。
結局、私は自分勝手で自己中で、誰かのためを装って、私が愛を伝えることで私がしあわせになるのだ。

近所の挽きたての珈琲を入れることや、有名な美味しい食パンのお取り寄せでも私のしあわせは実現する。 
ちょろくて、かんたんで、コスパもいい。
自分のご機嫌が自分で取れるのは素敵な大人の証拠。 

しあわせの感度は、伝染する。それは笑顔になるから

仕事で悩むことは多いけれど、その仕事も、ごく稀に、全部をひっくり返すくらいのしあわせがある。
きっとそれが、やりがいになる。

重要なのは、見逃さないことの方だ。
しあわせを感じる心は人によって異なる。
同じ人でも、しあわせの感度が高いときも、低いときもある。

しあわせの感度は、伝染する。
それは笑顔になるから。

私は今日も、朝から美味しい珈琲を淹れて、
「おはよう」と夫に声をかける1日から始める。
「おはよう、食パンは?」と2枚分焼いてくれる夫がまた、私を笑顔にするのだ。