初めて男の子とお付き合いしたのは小学校高学年のころだった。おままごとの延長のようなその出来事の断片を、私は今でも大切に覚えている。

私は幼馴染のK君のことが好きで、彼も私を好きだった。好きな人が自分を好き、たったそれだけのことが大人になると奇跡のように思える。まだ私たちの世界が狭かったころ、K君を素敵だなと思えたことはとても良いことだった。

「初めて好きになった男の子があの子で本当に良かった」そんな風に思い出せる恋があるだけで、幸せだと思う。

きっかけは分からないが、異性の顔を認識できないようになっていた

女子校に入ってからか、両親が離婚してからか、母が亡くなってからか、きっかけは何か分からないが、私は異性の顔をうまく認識できないようになった。

男の子の顔が覚えられない、女の子はわかるのに。どの顔を見てもぼんやりとして、名前と顔を一致させるのにひどく時間がかかる。整っているか、そうでないかもわからない。笑った顔が好きだったと覚えていることは、私にとって胸がきゅっとするくらい嬉しいことだ。

年をとればとるほど、人の浮かべる表情がどんどんわからなくなっていった私は、小学校高学年のころ自分に向けられていた裏表のない好意をとてもまぶしく、今ではもう得難いものだと知っている。

私と違って家族仲の良い彼はよく旅行に行く子だった。お土産にストラップを買ってきてくれるのだけれど、私はどこにも行かないからお返しができなくて心苦しかった。かわいらしい貰い物は嬉しかったけれど、家族がそろえば喧嘩ばかりの自分の家がどんどんみじめに思えていた。

親から「大事」にされている彼が羨ましくて仕方なかった

読書が好きだった私は、当時好きだったシリーズの新刊が出るたびに真っ先に読みたかったのだけれど、我が家はハードカバーの本は購入禁止だった。嵩張るし高いし、すぐに飽きるだろうから。図書館で予約すれば50人待ち、いつまで経っても読めやしない。

そんなことを彼に話したら、発売日に買ってもらって読み終わった彼の次に本を貸してもらえることになった。

「本が読みたい」といえば惜しみなく買ってもらえる、親に大事にされている彼が羨ましくて仕方なかった。好きなのに、なんだか泣きたい気持ちだった。

彼がくれたものは、両親が離婚して家を出る時にほぼ捨ててしまったけれど、唯一持っていったものがあった。

プラスチックの宝石だ。まん丸ではなく、四角でもなく、小指の爪よりは小さい透明なプラスチックの塊。「綺麗だからあげたかった。だいすきだよ」と手紙を添えてくれたのだ。
それを見た時、プロポーズの指輪みたいだと思ってとても嬉しかった。

まぶしくて、苦しくて、やりきらなかった私の「初恋」の思い出

私はそれを大事に取っておいたのだけれど、中学3年の冬、母が自死した後、家を片付けている時に捨ててしまった。小学校を卒業してから3年しかたっていないのに、私はそのころの記憶をほとんど持っていなかった。

虐待、母の自死、生きていくことへのプレッシャー、困難が濁流のように私を飲み込んでいた時に見つけた「だいすきだよ」の文字は、その時の私には耐えられなかった。

もう昔を思い出したくなかったし、うまく思い出せなかった。親から愛されず、とうとう先に死なれてしまった私に「だいすきだよ」と書いてくれた存在がいたことを、その時は理解したくなかった。子供の整っていない文字を見た時に、何もかもを捨ててしまいたくなった。

初恋をここまで思い出せるようになったのは、最近のことだ。まぶしく、苦しく、やりきれない思い出だけれど思い出せてよかったと思う。

私は確かに誰かに大切に思われ、それを無邪気に受け止めていた時期があったのだ。叶うならばそのころに戻りたい、無理だからこそ今でも強く思うのだ。