「牛乳買っといてって言ったじゃん。」
駅のホームで電車を待つ帰り道、隣の列から少し怒り気味の声が聞こえた。
横目でこっそり怒り声の元を辿ると、若い女性が険しい顔をしながら誰かと電話で話をしていた。携帯を持つ手には銀色のシンプルな指輪が光っている。きっと電話の相手は旦那さんなのだろうと雑な憶測をしながら、「私ならそんなことで怒ったりしないのに」と、顔もよく見えないその女性に心の中でマウントをとった。

怒りをぶつけられる相手がいるその女性が、本当は心の底から羨ましい 

高いのか低いのかわからない場所からする見物は虚しい。他人の生活にこっそり口を出している瞬間の自分は一番不細工だ。
「私ならそんなことで怒ったりしないのに」と余裕顔で考える私は、実はこの世の誰よりもかわいそうで、本当はギュッと抱きしめてあげたい。でも自分で自分を抱きしめられないのが現実。そういうものに向き合っていかなければいけないのが日常だ。

本当のことを言えば、怒りをぶつけられる相手がいるということが心の底から羨ましい。もし私がそんなことをしたら、一体何人私のもとを去っていってしまうのだろう。考えるだけでもゾッとする。
駅のホームで見た若い女性は、旦那さんが牛乳を買い忘れたことぐらいで怒って、他人から見れば、「そんなことでいちいち怒っていたらいつか愛想尽かされちゃうよ」なんて軽々しい意見まで言えそうだ。でも彼女の指にはあの銀色の指輪が光っていて、私の指は物寂しそうに青白い、それが現実だった。

一人でいる方が楽に決まっている。そうわかっていても二人でいるのが夫婦

怒りを好む人間などいない。それでも結婚という現実に向き合った時、どの夫婦にも怒りというものは存在してしまう。大なり小なり何かしらに怒っていて、どこまでを出してどこまでを胸の内にしまうのか、きっと日々考えている。それでも、その怒りを放り出さず、その怒りの元と向き合うことが愛であり結婚なのだと思う。一人でいればそりゃ楽よ。怒る相手すらいない。そんなことはみんなわかっているのに、どんなに怒っても世の夫婦は夫婦であり続ける。

実際には、どの夫婦にも永遠なんてものは約束されてない。ずっと怒り続けたら、バラバラになってしまう可能性だってある。それでも、その負の可能性に向き合いながら、しっかり怒りをぶつけられることが素晴らしい。結婚という名のただの馴れ合いなのかもしれないが、慣れていくこともまた日常じゃないか。結婚が夢ではなく日常になった時、その二人の絆は一段と強くなるはずだ。

自分の元から去ることはない。そう信じられる相手がほしい

「結婚、どう思う?」そう聞かれたら、買い忘れた牛乳をどちらが買いに行くのかで口論がしたくなるほどに羨ましいと答える。怒りをぶつけても、自分の元を決して去ったりしないと信じられる相手がいることが尊いと答える。馴れ合いで怒りをぶつけられるほどに、夫婦でいることが当たり前な日常が恋しいと答える。そんな私の手は今日も寂しいままで、きっとまた同じようなマウントをとっては、行き場のない虚しさが喉元からこみ上げてくるだけなのだ。