ケッコン。それは、まだ自分には馴染みのないものである。コリアンダーという言葉を耳にした時と同じくらいしっくりこないものである。
しかし、姉はコロナ禍にて婚約をしたと聞いた。どうやらケッコンとやらは実在するらしかった。都市伝説ではなかった。

上向きの口角と宝石みたいな目で語るコイバナを横で聞き流していた

小学校にいる頃から、コイビトには興味がなく、友人が、上げっぱなしの口角と宝石みたいな目をしてコイバナというものをしているのを、ただ、横で聞き流していた。ポップスが好きだった自分にとって、演歌を聴いているような気分だったように思える。
中学校に入っても、高校に進学しても、大学まで入学してもその気分は同じだった。ただ、友人がコイビトを欲しているのを聴き続け、自分もそのような存在を感じてみたくなった。
そして、その先に待ち受けるらしいケッコンがどのようなものなのか、想像してみたくなった。それがどれほど素晴らしく、ワクワクするものなのか、興味を少しずつ持ち出したことに自分でも気づいた。

しかし、分からなかった。自分の思うコイビトやケッコンが、友人のときめいているそれらと同じなのかどうかが。
寝られないとき、自分は時折スマホを片手に数十問答える自己分析テストをするのが好きだった。自身を動物で表すテストもしたし、就活で使うらしいテストもした。テストのネタが尽きたかに思えた日、LGBTQのテストというものがあった。
自身のセクシュアリティを診断するものだった。

Xジェンダー、ノンセクシャル…診断結果に並ぶ単語の意味を知り納得

コイビトという存在を感じてこなかった自分にとって、自分がどのような人に対して好意を持つのかなどを知るきっかけになりそうだと感じ、診断を受けずには寝られなかった。
結果は、Xジェンダーであり、ノンセクシュアルであり、デミロマンティックであり、パンロマンティックである、と返ってきた。

知らない単語を押し付けられ驚いたが、意味を知ると納得した。自分がそれまでにコイビトという存在を容易に感じようとしなかった理由が、それらの見知らぬ単語に表されているようだった。
女友達が異性に抱いたらしいときめきは、自分も共感できた時もあるし、できない時もあったように感じたからだ。女友達が異性に対して動悸を激しくしていたとき、自分は同性にも動悸を激しくしていた。恋愛対象が同性内で分かれることを想定したようなコイバナではなかったために、自分はただ耳を傾けていたが、同時に自分の鼓動がどうして速くなったのかを究明してもいた。

世界に同じときめきなんて一つもない。診断結果で世界が違って見えた

寝る前のネットの診断で翌朝の世界が違って見えた。恋愛対象なんて気にしなくてもよかった。気にしたせいで届けなかった想いも沢山あったように思う。
友人の感じるときめきと同じときめきを自分も欲していたが、その必要もなかった。同じときめきなんてなかった。
世界に同じときめきなんて一つもないんだと思えるようになった。同じコイバナもないし、そうなると、同じケッコン観もきっとない。ただそこに制度があるだけ。どのように扱うかは自分や、自分たち次第。きっと、それだけ。

自分はきっと、ケッコンとやらをしない。
いや、分からない。コイビトとやらがいないせいか、想像ができない。でも、ときめきを覚えた人物が現れたらドウキョとやらはしてみたい。それできっと満足をする。
いや、分からない。ケッコンとやらはしなくても、コドモとやらと一緒に過ごしてみたい気持ちはある。その場にコイビトとやらがいるのかまでは創造ができない。今の自分が想像できるこの生活は、ある人からしてみればケッコンではないのだろうし、またある人からしてみればケッコンなのだろう。
ケッコンってそういうものなのかもしれない。自分はそう思う。