先日、知り合い以上友人未満のおじいさん、Kさんの訃報が届いた。Facebookで【訃報】と記されていた。確かに私と彼はさほど親しいわけでもなく出会ってからまだ一年も経っていないことを考えると、知れただけで幸運だと思うべきなのだろうが、あまりの呆気なさに暫く実感が湧かなかった。

人はいつか死ぬ。そう思うと、一人きりで生きていきたくなった

住んでいる街にある喫茶店で、日曜の朝に開かれていた哲学対話の場で私達は出会った。その時の私はその街に引っ越したばかりで、おまけに4ヶ月前に祖父を自死で亡くしたばかりで、人生に疲れ果てていた。何処かにあるはずの自分の居場所がどこにもないような気がしていて、この先何十年もある人生をこんな風に親しい人を見送りながら歩んでいくのかと思うとどうしようもなく大変なことに思えて、途方に暮れていた。

複数人で集まって、今気になっていることを話す、そんな場にわざわざ早起きして出向こうと思ったのは、そういう場に集まる人の顔が見たいと思ったからだった。なにを思って人と語るのかを知りたかった。出会えば出会うほど、大事に思えば思うほど、別れは辛くなる。私は当時24歳で、これから見送る人の数は恐ろしくて想像もしたくなかった。人はいつか死ぬ、それも私の知らないところで。そう思うと、一人きりで生きていきたくなったのだ。だからこそ、足は自然とその場へ向かっていた。

ずっと自分を責め続け、9年後に娘と同じ形でこの世を去った祖父

30分前に着いてしまった私は青々とした木々が揺れる店先をうろうろしていた。恐らく、同じように哲学対話をしにきたのであろうおじいさん二人が並んで立っている。おはようございます、と声をかけた方がいいのかしら、と悩んでいたら向こうから声を掛けてくれた。「今日、初めての参加ですか」「どこからいらっしゃったの」。おじいさんは張りのある、よく通る声で私に聞いた。「僕と彼なんかはね、長いことここに来ていてね……」。初めてです、引っ越してきたばかりなんです。そうなんですね。一つ一つに返事をしながらも、私は内心すごく驚いていた。自分の祖父と同じくらいの年代の人が、誰が集まるかも分からない対話の場に来ているなんて!孫くらいの年齢の私に、敬語で話しかけるなんて!私はその時初めて、おじいさんというのは、祖父とは違う生き物なのだと知ったのかもしれない。

私の祖父は、ひどく怖がりな人だった。私の母、つまり祖父の長女が11年前に自死してから、ずっと自分を責め続けて9年後に同じ死に方でこの世を去った。私はそれを仕事の休憩時間に親族からのLINEで知ったのだ。
「突然ですが、おじいちゃんが急逝しました。」
Kさんの時よりもあっさりしていた。なにせ私が祖父の死を知ったのは、3日後のことだったのだ。祖父は生前、「佳苗に申し訳ない」とこぼしていたという。私は母が亡くなってから自分が彼女に虐待されていたことを知り、自殺未遂を図り、精神科病棟へ入りと散々な10代を送っていた。祖父母は「もう私たちの手には負えない」と言って私の前から姿を消した。連絡も殆ど取らなくなり、年賀状も返信は来ず、電話には出てくれなかった。

祖父との時間はまだ沢山あると思っていた。亡くなった時は虚しかった

私はそれでも9年間、母の死や自分の過去を見つめて前を向いて生きてきたつもりだった。祖父に会いたいと連絡する度に断られていたが、まだ時間は沢山あると思っていた。だからこそ、亡くなった時は虚しくて仕方なかった。結局、私がどれだけ生きても祖父は死を選んだ。生きる孫と向き合わず、死んだ娘を追っていった。ならば、私は何故こんなに苦しんでまで、生きなければならないんだろう、そんな風に思っていた。

Kさんは祖父とは全く違う人種の人だった。色んな話題を対等な立場で話してくれた。知識欲が旺盛で、およそ止まるということを知らなさそうな、でもちょっと堅物な人だった。私は身内を喪った後のその出会いを自分で思うよりずっと大事にしていたのだと、Kさんが亡くなってから気付いた。

人は必ずいつか亡くなる。それでも、そこから遺された者が歩みを止めなければ出会いを生むと思うのだ。Kさんを偲ぶ会というのに参加して様々な人がKさんとの思い出を振り返っているのを聞いて、私は祖父を思った。立ち止まっても、後ろを向いて歩き出すことだけはしたくないと、そう思うのだ。