酔って仕事の不満をまくしたてた私は、大好きな先輩を傷つけた

朝。ひどく喉が渇いて目が覚める。
ベットが音を立ててきしみ、布団の中で寝返りをうつ。上半身にどうしようもなく倦怠感が残ったままで、ふと、私は思い出した。
やってしまったんだ。完全に。やってしまった。
ベットから起き上がるには、頭のなかで回り続ける思考が重たい。
昨日のこと。仕事おわりに先輩と飲んだ。
酔いつぶれて新宿で別れるとき、先輩がタクシーで帰ろうとするのを腕をつかんで離さなかった。駅まで一緒に歩いた挙げ句、そこでもごねて先輩が終電を逃し、結局タクシーで帰ることになったのだ。
もう二度と、一緒に飲んでくれないかもしれない。
そんなことよりもっと、深いところ。本当はちゃんと、面と向かって、目を見て話さなければいけないことがあった。それがずっと心にひっかかっていて、重たい。
先輩との出会いは、1年前。
先輩は、私が1年前に人事異動してきてからなにかと面倒をみてくれた人で、お世話になったことは本当に数えきれないほど、沢山。
異動になったばかりでまだ名前が知られていない私を、贔屓にして下さっているクライアントの面々に紹介してくれたのもこの人だ。この子、案外酒飲むんすよ、って自分も楽しそうに酒を飲みながら。いろんなことでかばってくれたし、手を差し伸べてもらった。
私がこの人に仕事を辞めると言ったとき、でもこの人は反対しなかった。
月末になると必ず会社全体で売り上げの順位が出される。私はいつもびりっけつだった。たいして売り上げもたてられず、同期からも置いていかれた落ちこぼれは、とうとう仕事を辞める決心をしたのだった。
見切りって、なんの見切りだよ。
辞める理由を問われ、そのすべてに見切りです、と言い訳をする私を、先輩は吐き捨てるように一笑してそれきりだった。
一方、色んな人に色んなことを言われた。
世の中、そんなに甘くないよ。ここで逃げたら、あなた辞め癖がつくよ。
けれど私は、最後まで自分の意志を曲げなかった。後ろ指をさされても、絶対に曲げなかった。
だが昨日の夜のことは、さすがに応えた。
「楽しいだけじゃだめなの」
先輩を改札口で引き止めた私は、酔った勢いに任せてまくし立てた。
「ピラティスが好きな人がいて、私もピラティスが大好きで、ピラティスのレッスンを受けたい人がそこにいて、その人のために私がレッスンをする。それだけじゃ、ダメなの。売上げ売上げって、そればっかり気にしてるのは、人間じゃないよ」
怒っているような、でも悲しそうな目をして、先輩は聞いていた。
「終電なくなった。私、タクシーで帰るわ」
駅を離れていく後ろ姿。うつむきがちで足元を見ながらエスカレーターを登っていくその後ろ姿が頭から離れない。
「みんなそうだから。君だけじゃないってこと。売上げ伸び悩んでてロッカーで泣いたこともあったし、私ずっと辞めようと思ってたから」
それはいつもの飲み屋で、お互いに好きな酒を飲みながら、ある時先輩は言った。
ずっとそうだった。たいがいの人は、出来の悪い私に見兼ねて離れていくのに、でも先輩は、そうではなかった。いつも見捨てたりしなかった。そして、ほろほろと力尽きて倒れそうになる私を、その腕を、いつもぎりぎりのところで掴んで引き上げてくれる。
それなのに、私はこんなに大切な人まで傷つけた。もう、おわりだと思った。ぜんぶおしまい。
それからずっと、ぽっかりと心に穴が開いたまま、インストラクターとしての最後の日をむかえた。先輩も私も、あの夜のことにふれることはなかったが、先輩はどこか以前の先輩ではなかった。もうぜんぶおしまいだった。
新しい生活。一人で家にいる時、突然にどうしようもなく悲しくなり、孤独を感じ、悔しくもなって、携帯の連絡先の履歴を上から順にすべて消した。ひとつひとつ、名前を長押しして。そしてもう二度と、自分から連絡はしない。そう決めた。
それからまた何度も気分は浮き沈みを繰り返した。孤独に負けそうになるときも、あった。
ある朝。枕元の携帯にメッセージが届く快活な音が2つ。快活で、少し間抜けな、でも嬉しい音がした。その音の間で、誰からなのか分かっている自分がいた。先輩だ。
少し離れていた、それでいてすぐに思い出すことのできた不意打ちの優しさに、ふわりと心の温度が上がり、果たしてこんな気持ちはいつぶりだろうかと噛み締める。きっと1つめの音は、私を呼ぶものだろうと想像がついた。
一番上に再び浮かび上がった、懐かしささえ感じるその名前をタップして、そっとメッセージをひらく。私の名前を呼ぶ短いメッセージのあと、「元気してる? 新しい仕事はどうー? と続いた。そして、そういやずっと借りっぱなしだったDVDのこと思い出してさー」と。
私は思わず吹き出してしまった。
携帯の向こうから明るく、でも私の様子を伺うようないつもの声が、聞こえてくるようだった。
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