仕事のストレスで介護は手伝わなかった。助けを求める祖父の声は、聞こえないふり

「疲れただろう、ひとやすみしなさい。」
私の祖父は、いつもそうやって私の帰りを待っていてくれた。小学校の頃から、天気の悪い日は決まって迎えを引き受けてくれていて、どんな大雨でも大雪の日でも、嫌な顔ひとつ見せずにいつも笑顔で私を迎えに来てくれた。私は、そんな祖父の笑顔が大好きだった。
私がちょうど大学に上がる頃、祖父はパーキンソン病という身体が動きにくくなっていく病気になって、仕事も車の運転をすることも辞めてしまった。とはいっても、それまでよりも少しだけ動くのがゆっくりになった程度で、傍から見ればそれまでの元気なころの祖父とほとんど変わりはなかった。卒業して就職したら、いっぱいおじいちゃん孝行してあげよう。県外の大学へ進学した私は、実家に戻るたびにそんな気持ちをひっそり抱く。
私は地元での就職を決め、卒業を機に実家へ戻った。慣れない仕事に毎日クタクタになって帰宅する私を、「疲れただろう、ひとやすみしなさい。」って祖父はいつも迎えてくれた。でもやっぱり、近くに居れば居るほどそれはどうしても当たり前のことになっていって、ひっそりと抱いていたおじいちゃん孝行が実行されることはなく、年月だけが流れていった。
その間も祖父の病気は緩やかに進行していて、祖父の動作は明らかに鈍くなっていった。困ったことに、支えてくれるはずの祖母は重度のアルツハイマーを発症しており、とても祖父の介護を手助け出来るような状態ではなかった。病気の祖父に、アルツハイマーの祖母。二人の介護を同時に行わなければならない両親への負担はかなり大きかったようで、特に仕事から帰った夜の時間帯は、家中にピリッとした空気が流れていた。帰りたくない…。仕事のストレスを抱えていた私は、そんな感情を抱くことが増えていった。
当時の私は、営業というプレッシャー業務をこなすのに毎日手いっぱいな状態で、祖父の介護に協力することはほとんどなかった。終わることのないノルマ、上司からのプレッシャー、業績に貢献しなければならないという責任感。元気な頃の祖父の姿だけをずっと記憶にとどめておきたいという私のわがままも含まれていたのだけど、ちょっとでも気を抜けば、様々な重圧に押し潰されてしまいそうで、私は自分以外の事から目を逸らした。
だから、「ちょっと手伝ってほしい。」という祖父の小さな声が聞こえた時、私は両親が帰宅するまで気が付かないふりをした。これまでたくさんの愛情を与えてもらっていたのに、おじいちゃん孝行どころか、私はほんの少し助けてあげることすらしなかったのだ。遺影の中で笑う祖父を見るたびに、私はその時のことを思い出してしまう。
祖父がいよいよ自分で動くことも難しくなった頃、両親は施設への入所を決めた。祖父は徐々にうまく話すことも出来なくなって、起きている時間よりも眠っている時間の方が多くなっていった。施設に入ってから数年後、祖父は穏やかにその人生を終えた。
一方、ひどくなっていったのは私の身体も同じで、その頃には仕事のストレスで食事が喉を通らない状態が毎日のように続いていた。祖父の葬儀を終え、久々に出社した私を待ち受けていたのも減ることのないノルマ。「いかなる理由も出来ない言い訳にするな」という上司からの言葉は、大好きな祖父を亡くしたばかりの私にとって前向きに受け取る事が難しく、私の心は崩れ落ちる寸前まで追い込まれていった。私は涙を流すことすら出来ずに、屍のごとく日々を生きた。
祖父が亡くなってしばらく経った頃、私はふらっと遺影の前に足を運んだ。仏壇の前に座り、静かに手を合わせる。その途端、私は確かに「疲れただろう、ひとやすみしなさい。」という祖父の声が聞こえた気がした。目を開けると、そこにはいつもと変わらない笑顔で私を迎える祖父の写真。その瞬間、私の目からは大量の涙が溢れた。
「もう無理かも、もう疲れたよ。」私はひとり、誰にも言えなかった本音を呟いた。
それから数日後、私はそれまで味わったことのない腹痛に襲われ病院に運ばれた。しばらく休職することとなった私は、結局その仕事を退職する道を選んだ。あのまま仕事を続けていたら、きっと私の心は完全に壊れてしまっていたと思う。私は、見かねた祖父が天国から私を救ってくれたのだと感じた。
いつまでも手のかかる孫で本当にごめん。甘えてばかりで自分勝手な孫で本当にごめんね。これからは、天国のおじいちゃんに心配をかけないようにこれでもかってくらい幸せになるから。
そうやって幸せに生きていく事が、何もしてあげられなかった私に残された唯一のおじいちゃん孝行な気がしている。
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