「貴方の声、好きなのよ。電話がかかってきて、貴方だと嬉しい」
 あとは電話を切るだけ、というタイミングだった。受話器から手を放し、思い出したように息を吸う。ざわつくフロアの中、一人だけ走った後の様に鼓動が早い。夢みたいだ。

 電話の相手は、同じ職場だが違う施設で働く女性だ。実際に対面で会話したことはなく、年齢も、姿さえも知らなかった。つまり声だけの存在だ。だが、密かに彼女に憧れていた。彼女の話し方は、相手を受け入れる優しさがあり、いつも機嫌のよい受け答えだった。「こんな風に対応出来たら……」と度々思っていた。

話すことは得意なのに。できない自分が嫌になる日々

 時は数か月遡り、まだスーツをきて出勤していた新卒の春。色々な部署に連れ回されて研修を行っていた。流れとしては、3か月ほど新人研修を行い、夏ごろに所属部署が決定する。
 どの部署にお邪魔しても、必ず言われる言葉があった。「君は電話が下手だね」である。
 唇を噛む。その自覚はあった。へたくそなのだ、喋ることが。言葉遣いも話しながらだと混乱してしまう。「印象が硬くならないように」と気を付ければ、「友達と喋るみたいにしないで」と横から注意が飛んでくる。その上、電話を静かに置くことも出来ない。電話の呼び出し音が鳴れば、動転し、焦りながら受話器を取る。騒がしい動きだ。恥ずかしい。皆が私の下手な喋りに耳を澄ましているように思えて、毎日憂鬱だった。

 実は、喋ることに関し自信があった。大学のゼミ発表が四年間Sの評価だったのだ。一時間、自分の研究成果を他の生徒や先生に語り、質問に答えていく授業で、緊張もせず、むしろ自分の話を皆が聞いてくれるという状況が楽しかった。あの時の自分はどこに行ってしまったのだろう。
 おかしいなあ。喋ることは結構得意だったじゃない、私。退勤後、納得できないまま、電車の窓に映る自分を見返した。不満と自信の無さで、大学時代の自分よりうんと老けてしまったように思えた。酷い日は、混みあう電車の中でも涙が出た。でも一朝一夕で上手くなるものではない。

プレゼンS級の私が気づいた、電話対応の肝

 夏。研修期間が終わり、部署に配属された。電話対応と注意されることの繰り返しで、日々が過ぎていく。配属から2,3か月、秋の気配が微かに漂い始めた頃。気が付いたことがあった。

 ゼミのプレゼンと職場での電話対応は、同じ喋ることでも全く異なる能力が必要とされる、ということだ。ゼミの発表は自分から話すもの。先生や同級生がそれを聞き、評価をする。電話は違う。まずは相手の言葉を受け止める側になるのだ。相手の話を聞かずに電話は成り立たない。自分から話すこと、相手の言葉を受け止めること。真反対のことだ。
 つまり、必死に言葉を考える前に、じっと相手の話に耳を傾けながら状況を整理することが一番大事だ。「いかに上手く喋れるか」ではない。私の立場は、先生と同級生側だ。聞く力が足りない。それに気が付いて、しばらく経った後、彼女に褒められたのだった。
 彼女は、きちんと私の話を毎回受け取っており、私には足りないものを身につけていた。その上、人を褒めるような余裕もある。やはり凄い、と改めて感心した。

憧れの、褒めてくれた彼女に近づくために日々努力すること

 もうすぐ社会人3年目だ。コロナウィルスの影響下で、彼女との仕事は一旦なくなってしまった。もう一年以上やり取りをしていない。早く以前のような生活が戻ってきてほしい。
 最近は、音をたてずに受話器を下ろすことができる。時々まだ焦ってしまうこともあるが、話者の希望を整理し、適任者に電話を繋げるようになってきた。相手を受け入れるような話し方はまだ身についていないが、あの頃とは違う。飛んでくるボールを打ち返すように、仕事を淡々とこなす中、ささやかな誉め言葉は嬉しい。社会人になると、偶にしか褒められることがない。失敗すればきついお叱りを受けるが、学生時代のように、すぐに評価や点数が分かり、満足することや、未熟が身に沁みたりする瞬間は少ない。常に「今の、正解ですか?」と不安になる。
 だが、自分の声が好きで、私が電話に出ると嬉しい人がこの世にいる。嬉しかった。これからもあのひとことは忘れない。
 彼女のように、気軽に相手を喜ばせられるような、与える人でありたい。そのためには、自分で手一杯にならず、相手のことを聞いたり見たりする余裕が必要だと思う。まだまだ未熟だ。次に彼女の電話を受けるまで、もっと練習を日々重ねようと誓う。「恥ずかしながら、結構成長しました」と伝えられる日を、夢見ている。