「精神科の通院歴があると医療保険に入れなくなるから、精神科にはギリギリまで行きたくない」
この間知人に言われて驚いた言葉だ。今の自分を助けるために病院に行かずに、未来の自分のための保険加入を取るのは本末転倒じゃないか?と思ったが言わないでおいた。世間は精神科の通院に厳しいということを言いたいんであって、メリットデメリットの話をしているのではないのだろう、となんとなく思ったからだ。否応なしに迫られて通院せざるを得なくなった人間が目の前にいることもきっと、忘れているのだろうとも思った。世間というのは、基本的にそういうものだと私は知っている。

通学していた期間より、通院している期間の方が人生で長くなった

私は15歳の時から10年間、精神科に通院している。1週間に1度、1時間、落ち着いた時には2週間に1度、生活スタイルが変わっても、住む場所が変わっても、未成年から社会人になっても、通院することだけは変わらなかった。小学1年生から中学3年までしか学校に通っていない私は、通学していた期間より通院している期間の方が人生で長くなったことに、この春気づいた。

17歳の頃、医師に「私はいつまでこんな生活を続けるのか?」と聞いたことがある。先が見えないうつ病とその他精神疾患が治ることなどないと分かり始めた頃だ。うつ病は寛解はしても完治はしない、良くなることはあっても無くなることはない、そんな言葉をインターネットで見るたびに、これから先もこうしてずっと生きていかなければならないのかとゾッとした。医師は「あなたが必要とする限り、病院は開かれています」と言った。

10代の頃半年間入院した、思い入れのある病院。春からは別の病院へ

確かに、病院側から転院を勧められる可能性も大いにあった。大きな病院だったから、状態が安定してきた患者は他へ転院を勧められるのだ。自分の心や過去を打ち明けて、それと向き合う途方もない作業をまた一から別の医師としなければならないと言われれば、10代の私は治療を放棄しただろう。幸いにも10年間医師が変わることはなかったが、この春、私が通院を必要としなくなるより先に医師の異動が決まってしまった。

春から私は担当医の新しい病院へ通うことになる。

担当医と二人三脚で治療してきた私だが、10代の頃半年間入院したこともあるので病院自体にも思い入れがあった。体育の時間にはバレーボールをしたし、作業療法の一部で電車に乗って博物館のような場所に行ったりもした。

社会人になってから、病院のあるその街で一人暮らしを始めた

ある時、近くを散歩した最後に駅前のケーキ屋さんで好きなお菓子を買っていいというプチ遠足があって、周りの子供たちはすごく喜んでいた。当たり前だ、年頃の子供たちが外にも出られず、娯楽もなく、ただ病院の中で暮らしているのはあまりに楽しみがない。お母さんに会いたい、外で遊びたいと皆いつもこぼしていた。私はジップロックに入った小銭を見て、なんとなく無駄遣いしたくないなと思った。そういう時に子供が使えるお金は親が私の小遣いとして病院に預けているお金だからだ。ここでケーキを食べなくても私は死なないから、いらない。そう思ったけれど言い出せず、結局1番安いお菓子を買った。別に美味しくはなかったし、やっぱりお菓子はいらないなと思った。

その頃歩いた景色が忘れられずに、社会人になってからその街で一人暮らしを始めた。相変わらずのんびりした長閑な街で、当時の自分のような病院の子が外出しているであろう姿もちらほら見かける。子供の賑やかな声が聞こえる、良い街だ。

あの病院にかからなければこの街で一人暮らしをすることはなかっただろう。担当医に会わなければこの年まで生きていられはしなかっただろう。看護師に甘えられなければ、女の人はずっと苦手なままだっただろう。私にとって病院は、色んなものを教えてくれた場所で、帰りたくなる思い出の一つだ。精神科の病院と聞けばそれだけで眉を顰める人がいることは知っているけれど、私のように救われた子供もいる。そのことを、誰かに知ってほしいと思った。