「話せなくてごめんなさい」と言えなくて、別れを切り出したのはわたしでした。
「なんでわかってくれないの!」
口をついて出たのは、あなたを責め立てる言葉でした。
どうして、と思っていたのです。
どうして、わたしは話せないんだろう。
そう思う以上に、どうして、あなたはそれを許さないんだろう。わかってくれないんだろう、と思っていました。
あなたの家から出たあの日、わたしは帰り道の公園でわんわんと泣きました。
男友達に電話をかけて、泣きつきました。
すると、
「お前が憎いのは誰や。話せない自分か、認めてくれんかった彼氏か、どっちや」
と聞かれて、ああ、そうだ、と泣きながら気がつきました。
わたしはあなたが憎かったのです。
だから、喧嘩別れは必然だったのかもしれません。
その時のことを、わたしは少し書いてみたいと思います。

あなたの言葉をずっと聴いていたかった、ただそれだけ。

わたしとあなたはネットを介して知り合いました。
本が好きで、翻訳作品も積極的に読むところに惹かれ、知的な話しぶりに心揺さぶられ、わたしは彼の住む東京の街に赴き、出会いを果たしました。
今日からここはきみの街だ、とあなたがメッセージしてくれたことを、今でも覚えています。

あなたはすごく良い笑い方をする人でした。
快活、と言えばいいのでしょうか。豪快でいて、慎み深いような印象も持たせる不思議な笑い方でした。
わたしは少し無口でした。いいえ、わたしはあなたの前だと、無口になってしまうのです。
あなたのしわが寄った目尻の皮膚のやわらかさだとか、低いのによく通る声の響きだとか、決して絡めてはこない少し小さい手のひらだとか、そういうものたちを見ていると、なんだか胸がいっぱいになって言葉が出てこなくなってしまうのです。
あなたがすらすらと音楽を奏でるように話してくれる、新鮮な話題の数々。あなたの感性によって間違いなく選び抜かれたそれらに、わたしはいつも聞き惚れていました。
だから、わたしは自ら、自分のことについて話すことを、自然とやめていました。とにかく聴いていたかった。それが心地よかった。

「喋らなきゃ」そう思ったのに、あなたの前ではどうしても

でもあなたはそうではありませんでした。
わたしが聴いてばかりいることに対して、怒りを覚えていたのです。
「どうしてそんなに喋らないの。でも、その分聴いてくれてるから、ありがたいと思わなきゃいけないんだろうけど……」
そう、電話口で聴いたのを覚えています。やさしかったのです、その時の口ぶりは。
わたしはハッとしました。話さなければ。わたしの言葉で、この人にいろいろなことを伝えてみなければ。
でも、わたしはどうしても、自分から話題を切り出したり、話し出したりすることに違和感があり、うまくいかないのです。あなたの前で、だけです。わたしは難なく喋ることができるタイプだと思っていたのに。
わたしは焦っていました。

あなたに「喋れないわたし」を認めて欲しかった

そんな中で、わたしとあなたは再び会い、喧嘩は起こりました。
わたしが気に入らないことがあり、あなたに食ってかかった時、言われたのです。
「どうして喋らないんだ、あんまりだよ!」
わたしは激しくショックを受けました。
喋ることができない自分よりも、喋らないことを認めないあなたの姿勢に、怒りを通り越して諦めを感じてしまったのです。
「もういい、別れましょう」
言い捨てて、彼もそれに乗っかってわたしを追い出しました。
残されたわたしは、ただあなたの前でだけ喋ることができなかったわたしは、気の合う1人を確かに失って立ち尽くしました。

あなたに今会えたら、わたしは喋ることができるのでしょうか。
わかりません。わからないけれど、あの時のことは今でもわたしの胸を締め付けます。
「ごめんね」
そう言いたい気持ちと、でもやっぱりあなたも謝って、という気持ちが、小さく蟠っているのを感じます。